私が、変だと思うこと、心の声を口に出して、言うものだから
『また怒ってる!』と、いわれることがある。
『う~ん?!(◎_◎;)』
(怒っている?。。。。。 いや~おかしいと思っているだけなんだけどな~
怒っているように見えるの?聞こえてるのかな~?)となんだかわからなくなる。
例えば、義理の母が施設で、叩かれて怪我をしたとき、
みんなは、憤慨しないのだろうか?
自分の親や、肉親が困っているのだ。
傷ついているのに。。。。
きずつけられる方にも何らかの
落ち度はあるとは思うのだが、
義母の場合、認知症であることと、車いす生活で
誰かの、お世話にならなければ、動くことができない。
そのような人を、叩いたり、傷つけるは
どのような理由があっても、いかがなものだろうか?
それを、私は、不安なのであって、心配なのであって、困っているだけであって、
『また、怒っている!』と、言われてしまうのは
なんだか、心が、上手く表されていないのだなと思う。
通じていない。
ある人は、『中村さん、感謝が足りない!』という。
(え~、義母を見ていてくれている、施設の人へ感謝していないわけじゃないのよ。
しかし、叩く、たたられるのを黙ってい見ていろと言うの?)と思うのです。
私は、悲しいのと、どうにかならないのだろうか?という思いと、
早い話、母が傷ついて、困っていることが伝えたいのだけれど。
義母を、傷つけないでほしいだけなんだけど。
無抵抗、の弱者に、なぜ、こんなことをするのか!
きっと、世の中の怒って見える人は、
みんな、何か、欲求が通らなくて、困っている人なんじゃないだろうか?
今度、怒っている人を見たら、その人の立場になって聞いて、考えて、感じてほしい。
きっと、とても悲しくて、不安で困っているのだと思うから。