その635
☆3月14日、神戸港から「飛鳥ⅲ」に乗り込んだ。
乗船者は300余名、船長以下船の乗務員は400余名と聞いた。
前年の9月に予約したものの、暮れから正月明けにかけての青天の霹靂の病魔に見舞われ、9分9厘キャンセルになるだろうと思っていた。2月20日がキャンセルの期限。1月中旬には手術台に乗っているだろう、手術は根治を期すなら胃の全摘に膵臓の一部と脾臓を切らなければならないと言われていたから、何より楽しみにしていた客船での三度三度の食事など夢のまた夢、到底乗船には間に合わない、船には乗れたとしても、胃を全部取ってしまったらかゆ食が精々で、フランスやイタリア料理などもってのほかと思われた。
だが、不思議なことに、飲まず食わずながらそれでも嘔吐を繰り返す私の惨状をつぶさに見ながら、連れ合いは「飛鳥スリー」には乗れる気がする」と、言ったのだ。彼女はもとより霊能者ではないが、時々霊感のようなものを感じさせることを口走る。
其れかあらぬか、主治医たちも経験が無く頭を悩ませいた私の腹の中の腫瘍は、悪性ではなく良性のもののようだから大それた手術を敢行するには及ばない、経過観察しましょう、と最終診断を下してくれたのだ。
☆退院後もしばらくは恐る恐るおかゆを続けていたが嘔吐は一度も起こらず、モノはおとなしくしてくれているとの手ごたえを覚えた。
2月4日、特大を受診、CT検査を受けたが、径8センチあった腫瘍は4センチに縮小、全体のボリュームは3分の1になっていると思われた。この間治療は何もしていない。それどころか、このころにはおかゆを脱却、ごく普通の食事をしていた。
3か月後もう一度来られますか、それとも何か変わったことがあったら連絡してもらうということにしましょうか、と、端から気の合うものを覚えていた主治医の斎藤ドクター。寸時一考、後者でお願いします、と答えていた。破顔一笑の斎藤ドクター、快く頷いてくれた。
☆船旅は3泊4日、宮崎の日南へのそれだった。飛鳥での旅の目的の一つは、以前にも書いたと記憶しているが、ここに、高校時代の同期生で柔道部でしばし汗を流し合った平松礼二の絵が展示されていると知ったことだ。君の絵を見てくるよ、と約束していた。パンフにはその絵がほんの一部小さく紹介されているだけだったが、乗船するや、はてどこにあるかと探るまでもなく、5階から11階までのデッキの踊り場の壁一面を彼の絵が覆っていた。聞きしに勝る大作の数々に息をのんだ。彼はフランスの画家モネのハスの絵に傾倒し、彼の絵を日本画風にアレンジできないものかと試行錯誤してきた人物だ。苦節幾星霜、手掛けたその作品の数々がフランスの著名な美術館に展示されているという。
船はほとんど揺れることなく、酔い止めを備えていった連れ合いもほんの一服口にした程度だ。日南で下船し、せっかくだからとタクシーで古城跡に走ったが、日南市の市会議員も兼ねているという運転手が周辺を案内してくれた。飛鳥の寄港を当てにして土地の人々が繰り出していた。土地の産物の売店や、驚いたことには、飛鳥に乗ったのは何どめか、また乗りたいと思うかなどの項目を書いたアンケート用紙を求める人もいた。
船内では、ピアノや軽音楽の演奏もあったが、何と言っても楽しかったのは、我々の部屋のすぐ上の11デッキのレストランの食事や間食であった。ほとんど1日中、夜遅くまで食べるものがあった
下船後、さっそく平松礼二に一筆認めた。「見てくれてわがことのようにうれしいよ」と返ってきた。