その553 | 大鐘 稔彦のブログ

その553

☆某季刊誌に自伝を連載することになった。題して「医学と文学の間―一アウトサイダーの生涯」

生涯などと大上段に振りかぶったが、80年近い私の人生を余すところなく書き綴るとしたら、「孤高のメス」全13巻、原稿用紙にして5千枚近くになるだろうから、気の遠くなる話だ。毎回40枚程度の紙面を提供してくれるようだが、年4回で160枚だから、10年連載しても半分にも及ばない。編集者もその点はわきまえていて、数回連載した後は書き下ろしてもらったらと提言してくれた。納得。精々青年期、25歳くらいまでの話になりそうだ。

☆そもそもなぜ自伝などを書こうと思い立ったのか?と問われれば、いろいろなところで書いたとおり、ジャン・ジャック・ルソーやトルストイ、ゲーテ等の自伝で、多感な青年期の危機【挫折と言ってもよい】を乗り越えてこられたからである。

 彼らの人生は、その名声とは裏腹に、およそ順風満帆ではなかった。ルソーは若い時に止宿したある婦人の家で、盗みを働きながらお手伝いの少女にその罪を擦り付け、彼女はお払い箱になった。「ルソーさん、あなたはもっといい人だと思っていたのに」と、涙ながらに別れの言葉を残して。結婚して次々と生まれた子供を、育てる自信がないといずれも孤児院の前に捨てた。「人間不平等起源論」で世に出てからは、ロベスピエールや様々な論敵とに指弾され、四面楚歌の悲哀を味わった。

 ゲーテは「若きウエルテルの悩み」で文壇に出たが、ウエルテルはまさに彼の分身で、ロッテというすでに婚約者のいる女性に横恋慕、叶わぬ恋に煩悶するあまり、自殺をしようと短刀をわが胸に突き立てるところまで行った。何人もの女性を愛したが、ベートーベンのそれのごとく、いずれも苦悶に満ちていた。80歳に及んだ時、「わが人生で40日と幸せな時はなかった」と述懐した。

 トルストイは幼い時から熱心なクリスチャンだったが、思春期に至ったある日、成人して社会人になっていた兄が帰省し、トルストイがいつも通り食前の感謝の祈りを唱えると、兄は、「お前はいつまでそんなくだらないことをやっているんだ」と嘲笑した。兄はおそらく、ツルゲーネフの「父と子」の主人公バザーロフにかぶれ、無神論者のニヒリストになっていたのだろう。

 トルストイは兄の嘲笑を受けたことで自分のしていることが馬鹿げたことに思われ、この時を期して信仰を捨てた。そして青年期は放蕩三昧の日々を送るに至る。しかし壮年期に至ってその虚しさに思い至り、以後は贖罪の日々を送る。「復活」のネフリュードフは、まさに青年期の彼の分身であり、すでにベストセラー作家で大家となっていたが、懺悔のつもりだろう、彼はこの大作を自費出版した。

 トルストイは又終生己の容貌に悩んだ。私もまた思春期から久しく同じ悩みを抱えていたから、彼の自伝「懺悔録」を読んで大いに慰められたものだ

☆サブタイトルが示すように、私は王道からそれ、アウトサイダーの道を歩んだ。何一つ苦労することなく、順調にエリート街道を歩んできた人間には私の自伝は笑止ものだろう。だが、挫折を味わってきた、いや、今現在味わっている者には、いささかの慰めと、ひょっとしたらコペルニクス的転回を与えられるかま知れない。