その354 | 大鐘 稔彦のブログ

その354

☆洲本に月に一度は出かける。散髪と、朝食がてらブレンドのコーヒーを手に入れるためである。

 ついでに図書館に足を延ばし、持参した朝刊を広げ、それからやおらノルマの原稿書きに取り掛かる。それにも飽きると、書架を見て回る。映画かスポーツ関係の本だ。

 この前、ふっとある本に目がとまった。ボクシング、それも、歴代の世界ヘビー級チャンピオンをピックアップしたものだ。

 「ジョージ・フォアマン」のくだりが目に入った。この本の中で最も多くの頁が割かれ50頁にも及んでいるが、一気に読ませる。後半に差し掛かって「神との遭遇」の小見出しが出た。読み進むにつれ、愕然とした。自著の誤りに気付かせられたのだ。

☆昨年は講演に追われ、執筆の方がおろそかになった。唯一上梓に漕ぎつけたのが「私のスポーツ談議」なるエッセイだったが、中でボクシングの話にかなりの頁を割いた。ジョージ・フォアマンのことを書きたかったからである。

「ジャマイカのトラ」の異名を取り、連戦連勝破竹の勢いで勝ち進んでいたフォアマンだったが、「キンシャサの奇跡」と呼ばれた敗北をモハマッド・アリに喫してチャンピオンベルトを失って以来陥落の一途をたどり、復帰をかけたノンタイトル戦にも敗れて『ホテルのベッドに疲労コンバイ、ひっくり返っていた』まさにその時、キリストが幻に現れた。その瞬間、フォアマンは改心を遂げ、ボクシングを捨て、神学校に入り、牧師になった。

 上記『』の部分が誤りであったのだ。図書館で見つけた本にはこう書かれてあった。「それはロッカールームに引きあげてからおこった。ここで何が起こったのかは当のフォアマンにしかわからない。『急に目の前がパーと開けて、そこに現れたのは神の姿だった。それまで神を信じることなんて冗談だろうと思っていた私だが、その瞬間、信仰を広めることが自分の使命だと確信したんだ。そのためにはボクシングの世界から身を引いて伝道師の修業を積むことだと気付いたのさ』

 周囲は熱射病から来る一時的な混乱状態だろうと取り合わなかったが、時間がたってもフォアマンの意志に変化がないと知ってあわてた。プロモーター・ドン・キングをはじめ数多くの関係者が翻意を促したが、元チャンピオンの決意は揺るがなかった」

☆私が自著に書いたことはもとより私の創作ではない。ずいぶん前になるが、ジョージ・フォアマンのドキュメンタリー番組で、ナレーターは確かにそう語ったのだ。NHKだったから、このドキュメントのシナリオを書いた人間が誤っていたのだ。考証の不備を咎めなければならない。とまれ、 私ももっと文献を漁るべきであった。忸怩たる思いである。

 思えば、NHKだからと言って頭から信じ切ってはいけないことを何年も前に体験していた。

 ひところ、コロンブスの生誕何百年ということで、スペインのコンキスタドールたちによる南米征服のドキュメンタリーがよく放映された。なかに、エルナン・コルテス率いるコンキスタドールの話があったが、部下の造反を恐れたコルテスが、背水の陣を敷くべく、一行を乗せてきた船をすべて捨てることを決意する場面で、NHKのナレーターは、コルテスが船に火を放って焼き払った、と言ったから驚いた。私はそのころには「王国への道―アステカ王国滅亡史」を上梓していた。何冊もの文献をもとに10年がかりで書きあげたのだが、最も参考になったのが、コルテスに従ったベルナール・ディアスの自伝で、それによれば、コルテスはディアスらに、船底に穴をあけて船を沈めよ、と命じたのだ。

 私は直ちにNHKに小著のその件のコピーを送って過ちを糺したのだが、NHKからは何の返事もなかった。

☆最近のNHKの大河ドラマでも、時代考証のいい加減さが目につき興ざめになる。『清盛』の前の「お江」はひどかった。もとはと言えば脚本を書いた者がいい加減なのだが、そのいい加減さを糺せなかったNHKにも大いに責任がある。

 目下放映中の「清盛」もなんとなく嘘くさい場面が多すぎて危うい。いかにドラマとは言え、歴史ものである限り、事実をひん曲げることは許されないだろう。