その198 | 大鐘 稔彦のブログ

その198

文学論の締めくくりです。

『救い』の無い小説は真の文学とは認めない、と書いてきましたが、もう少し付け加えるなら、人間の欲望を丸出しにした『罪意識にかける』物は真の文学とは言えない、ということです。渡辺淳一の一連の『不倫物』がそれに相当します。不倫は言うまでもなく背徳です。これが野放しになったら社会の秩序は乱れる一方です。

渡辺氏の作品は心有る人たちの眉を顰めさせているはずです。登場人物たちはただただ愛欲に身をゆだね、あたかもそれだけが人生のすべてであるかのようです。現実には不倫は身の回りの人間を傷付け、苦しませます。それへの恐れ、罪の意識がなければもはや人間ではないでしょう。

何よりもやりきれなくおぞましい事件は、身も知らぬ男の劣情に身を汚される女性の悲哀です。つい最近も、同じマンションにすむ30台の男に襲われ、激しく抵抗しながら無残にころされた23歳の、人生これからという女性の悲劇がありました。たまたま新幹線で隣り合わせた男に威嚇され、トイレに連れ込まれて強姦された女性もいました。後者の場合、逮捕はされたものの、男は何年後かには世の中に出て来て、また同じ犯罪を起こすのが通例です。こういう男に一番良い刑罰は、ペニスを切り取ることです。

 『アベラールとエロイーズ』という、実在した男女の往復書簡集があります。何世紀も前の西洋の話です。この作品が素晴らしいのは、家庭教師に入ったアベラールが、無垢な少女エロイーズをかどわかして情欲のとりこにした、その事実を知って怒り狂った父親が無頼漢を頼んでアベラールのペニスを切り取らせた、『男』を失って嘆き苦しんだアベラールは、悔恨と絶望に駆られて修道院に入ってしまう、それを知ったエロイーズも後を追ってシスターとなる、そこからはじめて二人の本当の人生が始まり、エロスはアガペーへと昇華行く、その一点にあります。

 渡辺氏はそのエッセイ『男というもの』の中で書いています。「思春期は最も性欲の強い時期で、殊に男は然りである。そんな時期に受験が重なるから誠に理不尽である」と。そうではないのです。私も高校に入って二年目、隣のクラスの美少女に恋焦がれ悶々たる日々を送る羽目になりましたが、受験勉強がセーブを掛けてくれました。

翻って昨今の世の中を見ると、若者たちのフリーセックスが恐ろしい病態を生み出しています。性病の蔓延です。何の罪意識も無く奔放な情欲に身を委ねている結果です。そして、それを助長しているのが、罪意識を欠いた情痴小説なのです。かつては医者であった渡辺氏には、大いに反省と罪意識を喚起せずにはおれません。