その193 | 大鐘 稔彦のブログ

その193

今月始めに刊行なった「緋色のメス」の新聞広告に「ベストセラー『孤高のメス』で衝撃的デビューを果たした・・・」なるキャッチコピーを見出し、いささか面映いものを覚えています。芥川賞や直木賞の受賞者が最近は20歳前後の若い人たちに占められており、還暦を過ぎて多少とも世の中に作家として知られるということは遅咲きもいいところだからです。多少言い訳がましいですが、私のものがきとしてのデビューは本当は20年前にさかのぼります。コミックス「メスよ輝け!!」がそれですが、当時私は現役の外科医だったので本名で出すことを憚り、ペンネーム「高山路爛」を使いました。その後10年してメスを置き、ここ淡路島にきたのですが、私大鐘稔彦が「メスよ輝け!!」の作者だということをはじめて知ってくれた人たちに何人か出会いました。

 今回「メスよ・・・」が復刊されましたが、発行元は同じ集英社です。当然ペンネーム高山路爛が作者名になると思いきや、本名にさせてください、と言われました。「孤高のメス」の成功にあやかりたいから、と言うのです。「メスよ輝け!!」も、全く無名の新人作家としてデビューしたわけですが、それでも復刻版を含めて述べ80万部ほど出てベストセラーの末席につながりましたから、作者「高山路爛」を覚えていてくださる読者は少なくはないと思うのですが。

 ところで、「孤高のメス」を読んでくれた友人知人から、「作者名になるひことあるが、あれは出版社のミスですよね」とか、「本名はとしひこでなくってなるひこだったの?」という問い合わせがかなりありました。本名は勿論としひこです。しかしおおがねとしひこはもうひとつ作家らしくないのでなるひこと読ませたのです。「鐘が鳴る」に引っ掛けて、こちらの方が語呂が良いように思ったのですが、いかがなものでしょう?因みに私の父は息子の名を稔彦としたものの、なるひこと読ませるかとしひことするかだいぶ迷ったということです。私はそれを聞いて、なるひこでよかったのに、と悔しがったものです。というのも、母の父親は名古屋の田舎の人間で、私のことを「とっさ」とっさ」と呼び、子供ながらこれが厭で厭で仕方がなかったからです。「としちゃん」と呼ばれるのももう一つ好きになれませんでした。自分の名を漸く好きになったのは、大学時代、九最年長の恋人が「としひこさん」と呼んでくれた時からでした。いやはや、また脱線に終わりました。

本当は、二十歳そこそこの若者に文学と呼べるものが書けるのか、と言う話をしたかったのですが。