アメリカでは、小学生でも難しい本を読破して、知能指数も高い子が飛び級で有名大学に入学したという話を時々聞くけど、そんな子は成長スピードが早く、頭の回転も早く、「これが模範解答だな!」と気付いて、模範解答を即答することで「この子は賢い子だ。」と皆から褒めてもらえるけど。
その後、どうなったんだろう?
もしかして[十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人]かも知れない。
成長速度が早いだけかも知れない。
到達点は既存の常識の範囲内かも知れない。
到達点は、それ程の違いはないのかも知れない。
もちろん我々よりは優秀だと思うけど。
「イノベーションは常識を書き換える能力じゃないの?」
[プランB]じゃないの?
「そもそも評価規準が違うんじゃないの?」
評価基準や評価規準では測れない、もう一つの評価が重要なのかも知れない。
「1+1=1」と答える子を見て「この子は自分達が思うよりも賢い子かも知れない。」そんな感じ方が重要で「どうすれば、そんな風に感じることができるんだろう?」
[1]は何なのか意味付けていくと粘土は、くっついて一つになるので[1+1=1」でも間違ってはいない。
計算力だけを見る数学では、こんな子には[✕]が、つけられてしまう。
計算は電卓を使えば良い。
計算力を問う数学を、記述式に変えれば良い。
問題も、答えも、生徒に作らせれば「意味が分からない?」ということは、有り得ない。
記述式に変えれば[1+1=1]と答える子を見て「この子は自分達が思うよりも賢い子かも知れない。」と思えるのかも知れない。
エジソン少年は、[1]は、何か意味付けている。
模範解答を求めると、成長速度の早い子を「この子は賢い子だ。」と感じるけど。
記述式の数学は。
早い理解ではなく。
もっと深い理解をすることで、二つ目の答えに到達して「この子は自分達が思うよりも賢い子かも知れない。」と思えるのかも知れない。
計算力で分かるのは常識の範囲内で、記述式は、生徒の[枠の外]まで広がっていくイノベーション能力が見えてくるのかも知れない。