日本では「1+1=1」は「間違っている。」と「✕」をつけられてゴミのように捨てられてしまう。
王貞治も変な練習をしている。
『不思議の国』というナンセンスなSFも「科学ではない。」と捨ててしまえば廃棄物でしかない。
アメリカには自閉症児で理数系で才能を発揮する子がいるらしいけど。
どれもこれも見捨てられてしまう。
たしかに変なものには価値はなくて。
捨てればゴミだけど⁉
しかし!
価値を感じれば宝島の地図になっている。
江戸時代には欧米にも負けない高等数学があったらしい。
江戸時代の数学は問題も答えも自分で作っている。
江戸時代には入試もなければ、テストもない。
むしろ入試やテストをすることで「1+1=1」には[✕]がついてゴミのように捨てられてしまう。
模範解答しか認めない入試やテストがイノベーションが生れてこない原因かも知れない。
計算力や記憶力そして模範解答を速答する能力はAIに丸投げすれば良い。
しかし!
江戸時代には、そのコンピューターがない。
江戸時代に高等数学を趣味で解いていた旦那衆は、ソロバンの習得も必須で、マニュアル通り答えて、正解にしか価値のない数学を教え込まれて、旦那衆は計算能力も優れているはず。
ただ江戸時代には入試やテストはなく、むしろ問題も答えも自分で作っているので意味が分からないということはない。
むしろバランスがとれている。
ルイスキャロルは数学者で、やはり!彼は小児性愛者だったのかも知れない。
彼は、そんな現実を忘れたくて、空想の世界で長い時間を過ごしている。
彼の思考回路は、まず空想する脳で考えているのかも知れない。
彼には、間違った性癖があって。
ナンセンスな『不思議の国』は、現実を忘れるために必要だったのかも知れない。
現実逃避している。
AIは理系には強くても、実体の無い空想のような文系に弱い。
『不思議の国』は科学ではない。
ルイスキャロルには個人的な事情があって、SFのような空想の世界で長い時間を過ごしている。
『不思議の国』は、科学と非科学の境界線を超えている。
ルイスキャロルは間違った性癖で、境界線を超えている。
[1+1=1]は[プランB]で、科学の限界を超えている。
しかし、そんな子は空想力の優れた子かも知れない。
江戸時代にはテストなどないことで、空想で考えたのかも知れない。
江戸時代の趣味人は、現代の学生よりも優秀なのは、自由に解放された発想をしていたからかも知れない。
江戸時代の数学はSFのような、文系数学なのかも知れない。
旦那衆は、趣味で数学を空想している。
AIには非科学的な空想は無理で、すぐに限界点に達してまう。
日本人は科学者というよりもエッセイストで、理系というよりも文系で、数学を理解するのに向いているのかも知れない。
数学は、入試から外した方が良いのかも知れない。
日本人は、天才達の豊かな感情に感化されてしまう。
群れる動物は一匹が警戒音を発すると、群れは、次の一瞬、巣穴に逃げ込んでしまう。
感情は理性よりも、早く、伝わって、理性よりも影響されやすい。
やはり、入試からは数学を外した方が良い。
「1+1=1」はゴミのように捨てられてしまう。
AIのような、計算だけの数学は、すぐに理解の限界点に達してしまう。
数学者には、まず個人的な事情から、空想があって、そんな『不思議の国』は理解ではなく、体験すれば良いのかも知れない。
文系の日本人には、もっと効果的な教え方があって。
江戸時代には入試もテストもなく、旦那衆が趣味で解いている高等数学には「1+1=1」も有り得て。
そんな様子を想像すれば良いのかも知れない。