知り得る知識を総動員して『王貞治物語』を妄想してると、50年前の古い知識からでも、新しい発見はあって、知識の二次利用・三次利用が役に立つ勉強方法かも知れない。
それは従来の受験勉強とは、まったく違う方法で。
ビックデーターの分析は、知識の二次利用・三次利用で。
ビックデーターを、みつめても何も気付かないけど。
『〇〇物語』を書いてると、フッと気付くのかもしれない。
[気付き]には感情が重要な役割を担っている。
人にも動物にも感情があって、群れる動物は一匹が警戒音を発すると群は巣穴に逃げ込んでしまう。
感情は危険を知らせて、危機感を共有する大切な能力で。
そして人の場合は危機感だけではなく、成功体験も高揚感に感化され伝わっていく。
『王貞治物語』に、してしまえば知識と知識は合体して、それが知識の二次利用・三次利用へと繋がっていくはず。
人の感情は、学者の成功体験から企業秘密さえも感情にシンクロさせて感じ取れるはず。
日本人は集団志向性がつよく、主体性に欠けるけど。
従属性で感じ取っている。
日本人は場の空気を読んでいるので、一瞬の変化を見逃さない。
やはり!
『〇〇物語』を書くことで、話を膨らませていく方が効果的かも知れない。
情報や知識に接する際に達成感とか挫折感のような感情を伴うことで、人に気付きを与える。
日本人のイノベーションには感情が重要なのかも知れない。
りんごが木から落ちて・・・。
普通は、こんなことで悩む人はいない。この話を思い出しては、重い気持ちで考えごとばかりしている姿が想像できる。
考えごとばかりする性格には、何かつよい考える動機付けがあるはず。
彼の生い立ちに興味があって、パソコンで検索してみると案の定、親の愛情を知らずに育ったと書いてあった。
彼は、親に見捨てられた気持ちから、心に大きな穴が開いてしまった。
重い気持ちでいる時、自分自身を評価できて自尊心を満足させることが出来れば大きな穴をうめることが出来たのかも知れない。
[孤独]がキーワードかも知れない。
一人で妄想している時に、他人が自分の妄想を理解してくれるのか、そこまでは気にならない。
ひとりぽっちの空想は、それは空想というよりも妄想に近くて非現実的なことを考えていても人目は気にならない。
[孤独]は人を自由にさせてくれる。
そんなひとりぽっちの考えは、科学的・常識的というハードルは以外と低かったのかも知れない。
知識の二次利用・三次利用に抵抗感はなく。
他人の評価を気にすると、非科学的や非常識な考えは十分な説明ができず行き詰ってしまう。
しかし、彼は人目を気にすることもなく、自論を確定させて!
何か問題点があれば直し!
そこから連想が働けば、自由に展開して自論の完成度を高めていったのかも知れない。
[孤独]は、他人の目が気にならず、彼を自由にさせたのかも知れない。
他人の仮説も自己流に都合よく解釈して、それほど難しくは感じていなかったのかも知れない。
日本の教育のように常にペーパーテストで評価にさらされて模範解答以外に[×]をつけられると、人目を気にする子になってしまう。
模範解答にしか価値が見出せない子になってしまう。
東大生の話にリアリティーが感じられないのは、自分で考える能力が身についていないことを示している。
ビックデーターを見つめても、何も気付かない。
りんごが木から落ちて・・・。
それはピンポイントな見方をしているのではなく、広い宇宙を見つめている。
彼は[孤独]で、ひとりぽっちで、何を見つめているんだろう?
[孤独]な心理がキーワードかも知れない。
もしもあったかい家族に囲まれていれば有名な学者にはなれなかったのかも知れない。