ラフマニノフは祖国のロシアでは「極、平均的な大衆の美意識に迎合している。」と不評を買ってしまった。
ラフマニノフは深みのある曲を作曲することに、こだわっているのに祖国では理解されない。
「古池」や「蛙」は、その言葉以上の意味を感じる。
英語は論理的で100%言語で表現しようとしているけど、芸術は違って、100%表現するのではなく、ピカソの絵は、見てる人の中で芸術になっている。そして写実的に表現された部分が少なく、壊れている部分の方が多い。
より多く観賞している人の美意識に依存している。
観賞している人の美意識に委ねられている。
[なにか感じるものがあって。]
そんなところが観賞している人の自尊心を、くすぐるのかも知れない。
ラフマニノフも自分の作曲した曲が、それを聴く人の中で完成するように作曲すれば良かったのかも知れない。
くどくどと説明すると「分かってるのか?」というメッセージを送ってしまう。
スピルバークを批判する人は多いけど。
小津安二郎のように、極平凡な日常生活を描いているのに「何か感じる。」「なんだろう?」と余韻を残す描き方をすれば良かったのかも知れない。
「古池」や「蛙」に、それ以上の意味なんかないのに「なにか感じる。」そんな余韻が読者の自尊心を、くすぐっている。
健常者のベートーヴェンがいて。
もう一人、耳が聞こえなくなったベートーヴェンがいて、二人のベートーヴェンがいて、二つの歴史があって。
皆が知るベートーヴェンは耳の聞こえない方のベートーヴェンで。
彼は、もう空想するしかない。
そんな空想のみで作曲された曲は最高の評価を得ている。
最高の評価を得ているのは、耳の聞こえない方のベートーヴェンで。
ベートーヴェンの空想が、自分の脳にシンクロしてくる。
聞こえるのではなく感じる。
欧米人にとって[チャットGPT]は100%言語化できる、写実的に表現できることに価値を感じるのかもしれないけど。
[チャットGPT]は資料にない未来に対応できないとも言われている。
しかし半世紀も前の一本足打法から、魔法のような打ち方が発見されている。
生まれたところには、まだまだ未知の発見があって。
というよりも!
生まれたところにヒントがあって、一本足打法から多くの魔法のような打ち方が発見されている。
歴史の出発点は[宝島の地図]で、しかも、まだ誰も気付いてない魔法が発見される可能性のある場所で、過去の資料は大きなヒントを与えてくれる。
日本の文化の多くは過去で、もう一度過去に戻ると「なんだろう?」と、言葉以上のものを感じる。
余韻を残して、時間がゆっくりと過ぎていく。
「古池」や「蛙」は、その言葉以上の意味を感じる。
[チャットGPT]は資料の無い未来に対応できないと言われているけど。
日本や日本語で開発された[チャットGPT]は過去の資料でも、歴史の出発点は[宝島の地図]で多くの気付きを与えてくれる。
そんな未来に対応することを求められるのかも知れない。
そのためにも歴史の出発点にある知識は重要で。
そこから!
なにかが生まれている。
欧米人にとって[チャットGPT]は100%言語化できる、写実的に表現できることに価値を感じるのかもしれないけど。
最高の評価を得ているのは、耳の聞こえない方のベートーヴェンで、多くの余韻を残している。
話の出発点は未完成で、連想ゲームには最適な場所で、ビックデーターを分析する時、連想が働いて、フッと気付く。
日本人は子犬しか買わない。
未完成なものを、自分で育てたい。
そんな時、気付きを得る。
それが未来に対応する[チャットGPT]かも知れない。