空想力には、まず破壊があって空想がある。
なによりも!
ベートーヴェンには圧倒的な才能があって、一点、耳が聞こえないという障害もあって、たった一つの障害で全てを駄目にしている。
長所や短所が際立って。
実は!
分かりやすいのかも知れない。
どうも日本の偏差値大学から才能が育たない。
それは東大に学習障害児がいないからで。
実は!
才能はあるけど、脳の一部に障害のある子は、能力や障害が際立っているので分かりやすく。
楽器を弾かせると「この子には、ひらめきがある。」と誰もが感じることができる程、分かりやすいのかも知れない。
そんな子は、一部の障害を克服するために空想力が覚醒して、破壊があって創造があるという状態になっている。
それは偶然!考えたこともないものが生まれているという[成功体験]でもあって。
東大は偏差値という価値観に、こだわって、ペーパーテストが唯一の判断基準になっている。
なによりも!
常識の破壊があって創造があるという成功体験が乏しく、ますます常識が壊れることに意味を感じることが、できなくなってしまう。
たしかに!
常識は誰もが正しいと納得する、まともな考えで。
欠点・欠陥には、何の価値もない。
そんな欠点・欠陥にこだわってしまうのは、自分も学習障害児だった教授だけで。
自分も学習障害児だったからこそ!
欠点・欠陥という、価値のない、どうでも良いものに、とらわれてしまう。
他人の欠点・欠陥を見てると、自分の軽蔑された辛い記憶が蘇ってスルーできない。
他人の欠点・欠陥が笑えない。
スルーしたいのに、できない。
欠点や失敗だけど正当化したい。
ついつい言い訳をしている。
そんな風に囚われていると。
偶然!
考えたこともないものが生まれていることに気付いて。
それは成功体験でもあって。
いよいよ欠点・欠陥に意味を感じるという奇妙な見方をするようになっていくのかも知れない。
一本足打法は半世紀も前の過去の歴史だけど。
奇妙な点に、こだわっていると[内から外]という振り方に気付いて、タイムマシーンで半世紀前に戻って、今度は一本足打法ではなく、違う歴史を刻んでいる。
勉強も過去から、気付いて、学んで、違う歴史を刻むことに意味があって。
東大からイノベーションが生まれてこないのは「教科書は正しい。」と教えるからイノベーションが生まれてこないのかも知れない。
深刻な障害があることを教えれば良い。
ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから有名な曲を作曲している。
健常者のベートーヴェンがいて。
耳の聞こえない、もう一人のベートーヴェンがいる。
タイムマシーンで過去に戻って、違う歴史を想像してみると良い。
100mの金メダリストはマラソンには向いていないように、才能と欠点は
コインの裏表のように一体のものかも知れない。
学者のイノベーションも同じかも知れない。
AIの普及で記憶力や計算力は重要ではなくなって、また一つ超えなければいけないハードルの数が少なくなっている。
[チャットGPT]が模範解答を速答してくれるので、また一つハードルが少なくなって。
模範解答を即答する能力は重要ではなくなっている。
100mの選手に、マラソンのタイムは重要ではない。
AIの普及で、才能が育つ環境が整いつつある。
これからの勉強法は、タイムマシーンで過去に戻って、今度は、違う歴史を刻むのかも知れない。