「チャットGPT」は過去や現在には対応できても未来の質問に答えは出せないと思われているけど、そうでもないのかも知れない。
やがて!
医師は「チャットGPT」と会話しながら「チャットGPT」に質問をしながら患者を診察するようになるのかも知れない。
そのためには!
「チャットGPT」が気付かなくても、誰かが気付けば良いことで、そうすれば、なにも医師でなくても、動物の習性がヒントになったり、異業種からも意見を吸い寄せてくるので、データの分析には、誰かが気付けば良い。
「チャットGPT」なら、接点のない異業種からでも意見を吸い寄せてくることに意味があるのかも知れない。
それとは逆に!
コナンドイルは事件を組みたててから、何処を秘密にすれば謎の怪事件に見えるのか、あれこれ試しながら推理小説を書いていたのかも知れない。
謎の怪事件に思えるように書く推理小説と、スッキリ見えてくるビックデータの分析法は正反対な方向を向いているので、両者を比較すると面白い。
これから「チャットGPT」は、誰かがビックデータの分析の仕方に気付くことで、誰でも使えるものに進化していくはず。
ものを考えない人を見てると、考えが繋がっていかない。
途中で途切れてしまう。
「どうしてなんだろう?」
「自分で判断しないと損をするだけじゃない?」
自分を過小評価して「どうせ自分には何もできない。」と無力感が強すぎるのか?
成功する自分がイメージできれば良いのかも?
『シャーロックホームズの冒険』は謎の怪事件だけど、シャーロックホームズは、それをプロファイリングしてみせる。
という物語だけど、コナンドイルは事件の顛末を組み立ててから、一部を秘密にして、謎の怪事件に見えるように仕立て上げている。
ありふれた事件でも、一部を秘密にすれば謎の怪事件に見えてくる。
そして読者を連想ゲームに誘っている。
ピカソの抽象画は未完成で、彼の絵は見てる人の中で芸術になっている。
どちらが才能なんだろう?」
多くの人の中でピカソの絵は芸術になっている。芸術と感じる人は、決して少数派ではない。
もしかして!
「チャットGPT」はピカソのように未完成でも良いのかも知れない。
というか!
誰かが、資料の分析の仕方に気付けば、才能が無くても便利に利用できるのかも知れない。
ありふれた知識でも、誰かにとっては、ヒントに思えるかも知れない。
「チャットGPT」は道具に過ぎないので、なにも「チャットGPT」自身の中で完結しなくても良いはず。
『不思議の国のアリス』はナンセンスなSFだけど、子供達は「分からない?」「無理!」とは感じていない。
SFだけど、物語をしっかりとイメージできて現実を追い出して空想に入れ替える、創造的破壊現象が起きて『不思議の国』は子供達を空想の世界に誘って、ちゃんと子供達とアリスの会話は成立している。
「チャットGPT」は過去や現在には対応できても未来の質問に答えは出せないと思われているけど、そうでもないのかも知れない。
学生が「チャットGPT」を使ってレポートを書くことが問題視されているけど、逆に「チャットGPT」を使うことで、異業種からも意見が吸い寄せられてくるので、新しい見方や考え方ができるのかも知れない。
上乗せした部分は「これは生徒の意見だな。」と判断できるように書けば良い。
むしろ!
生徒の「うん?」「なに?」と□□□□はクロスワードパズルのように謎の怪事件に思えて、連想ゲームは終われない。
話は展開していく。
学者は未来を空想している。
学者の[創造的な破壊]に便乗してホップ・ステップ・ジャンプと連想を働かせると、ちゃんと評価してもらえるのかも知れない。