「チャットGPT」 17 | エイジのブログ

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

最近のマツダはカッコイイ。

 

見てる人の[美意識]が引き出されてくる。

 

見てる人は、自分の美意識を見ている。

 

あるデザイナーが「そのためにも、最後の一筆は書かずに残しておく。」と言ってたけど、見てる人の連想が働くように仕向けて、デザイナーは連想ゲームに誘っている。

 

そういえば有名な画家の絵は、何処か未完成なのは、見てる人の中で完成しているのかもしれない。ピカソの絵は見てる人の美意識を引き出して、見ている人は、自分の美意識を見ている。

 

ピカソの抽象画は、その絵を見てる人の中で芸術として完成している。

「どちらが才能なんだろう?」

 

「フロイト」で検索すると。

 

自由連想法(じゆうれんそうほう)とは、ある言葉(刺激語)を与えられた時に、心に浮かぶままの自由な考えを連想していく発想法。刺激語と連想語の関連を分析し、潜在意識を顕在化する事によって心理的抑圧を解明する。

 

フロイトは、何でもかんでも、人の心理をセックスと結びつけている。

 

とりあえず思い付いたものに、しがみついているのかも知れない。

 

フロイトは、本人もそう言ってるように、次々と連想ゲームをしている。

 

セックスを起点にすると、次々と思い浮かぶのかも知れない。

 

フロイトを理解する読み方は!

フロイトの連想ゲームに便乗すれば、ホップ・ステップ・ジャンプと弾んでいくフロイトの[ひらめき]や気付きが体験できるのかも知れない。

 

学生が「チャットGPT」を使ってレポートを書くことが問題視されているけど、フロイトのコピーではなく、学問とは関係ないフロイトの個人的な事情からヒントを得て創作された「フロイト物語」のようなものを書いて、フロイトの[ひらめき]や気付きに影響され、便乗している様子を描写すれば、それは「チャットGPT」には書けないので、ちゃんと評価してもらえるはず。

 

ただ!

「チャットGPTには知能も感情もない。」と高を括っているけど。

 

「高を括る」で検索すると。

 

「高を括る」には、相手の技量を低く見積もる・物事を甘く見る・安易に予測するという意味があります。 売上高や収穫高で使われる物の数や量の総額を指す「高」と、予測する・まとめるという意味の「括る」が合わさった慣用句です。

 

なによりも!

人の知能や感情には必然性があるはず。

 

B型人間は自己中で同情心に欠けると言われているけど。

 

群れる動物とテリトリーを作って単独で生きる動物に分けると合理的な説明はできるのかも知れない。

 

テリトリーを作って単独で生きる動物は、同じ種でも、そのテリトリーに入ってくると戦いになってしまう。侵入者が強いと異常に怖がって「コイツは弱いな。」と思うと逃げ出すまで攻撃をしてくる。その時に同情心はない。というよりも同情心は必要ない。同情心は群で生きる動物に見られる習性で、一匹が警戒音を発すると群は一斉に巣穴に逃げ込んでしまう。感情を共有して、同じ反応をしている。同情心は群で生きる動物には必要な習性で、知能や感情には、その働きや、そのプロセスに必然性があって、合理的な説明はできるはず。

 

人の知能や感情にも[必ず、こうなる]という、なんらかのプログラムは存在するはずで、それが解明されると、アッという間に「チャットGPT」は人の知能や感情を凌駕していくのかも知れない。

 

ピカソの抽象画は未完成で、彼の絵は見てる人の中で芸術になっている。

どちらが才能なんだろう?」

 

もしかして!

「チャットGPT」はピカソのように未完成でも良いのかも知れない。

 

欧米では「チャットGPT」を異常に怖がる人がいるけど、それはロボットも異常に怖がって警戒するけど、日本人にとってロボットはアトムやガンダムのように味方で決して敵ではない。

 

そういう意味でも「チャットGPT」は集団志向性の強い日本人の中で味方として共存して成長していくのかも知れない。