「創造的破壊」で検索すると。
創造的破壊という標語くらい誤用されているものも少ない。それは「理想に向けての創造」には「現実に対する破壊」が不可欠だという意味であって、破壊の中から自然に創造が生まれる、ということでは決してない。公共活動の「理想」が示される必要がある。
まず理想があって!
現実が追い出されるという意味らしい。
新しい理想と現実は共存できなくて、結果的に現実が壊れてしまうという意味らしい。
日本のテストは「教科書は正しい。」と教えて、現実が壊れることを認めない。
偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは当然かも知れない。
本来、理想が実現していくのは楽しいはずで、テストで分かるのは現状維持能力で、イノベーションをいう時、そもそもテストが間違っているのかも知れない。
「楽しい夢を、どうやってテストするんだ。」
生徒の国語力で、その生徒の数学の理解力を想像してみると面白いのかも知れない。
国語は科学の限界を超えていく。
簡単に超えていく。
SFやおとぎ話のように超えられないハードルは無い。
SFやおとぎ話で、現実が壊れている。
何よりもSFやおとぎ話は楽しくて抵抗感がない。
記述式の数学は国語化することで、生徒は自由に空想して「この子は面白い!」と、その子の数学力の可能性も見えてくるのかも知れない。
ルイス・キャロルには[SF]でもあり[おとぎ話]でもある『不思議の国』は現実から逃れる避難場所として必要だったのかも知れない。
彼には避難場所が必要で、必要性からもリアリティーが生まれている。
日本では「教科書は正しい。」と教えるけど。
彼らには辛い現実があって。
ベートーヴェンは、もう耳が聞こえない。そんなベートーヴェンにシンクロすると伝わってくる。
レオナルド・ダ・ビンチは、今日の考え方だと[ADHD]ということになるらしい。
有名人で検索すると[〇〇障害]だったという記述が意外と多い。
日本では「教科書は正しい。」と教えるけど。
才能と[〇〇障害]を関連付けて理解するには。
むしろ!
彼らは、映画の脚本家のようにリアリティーに捕まっている。
彼らには壊したい現実があって、現実からは遠く離れた架空の世界で長い時間を過ごしているので現実と妄想の区別がつかなくなって、そこからもリアリティーが生まれている。
ジョージルーカスは冷淡な父親から逃れたかったらしい。
そこから逃れたくて、ついつい空想の世界にいたらしい。
映画『スターウォーズ』の中では、ダースベイダーは父親で。
ジョージルーカスにとって、父親はダースベイダーだったらしい。
そんな周辺にある、どうでも良い知識で、ジョージルーカスの心理状態を想像すると分かりやすい。
逃れたい不安感の中で[美]や[安定感]を求める空想力は、必要に迫られて覚醒するのかも知れない。
なによりも日本人は他力本願で、それほど不幸な経験をしなくても[感情]にはリアリティーがあって。
そしてルイス・キャロルには『不思議の国』は現実から逃れる避難場所として必要で。
彼は現実を忘れようとして、現実とは反対方向を向いている。
彼にとって[創造的な破壊]は数学とは無関係だけど。
しかし!
数学者の空想は、数学とは関係ない個人的な事情に背中を押されて、現実が追い出されている。