「アイツは嘘つきだ。」と悪口を聞かされて、そんな先入観で見ると、知りもしない人が嘘つきに見えてくる。
答えから考える優位性は、人は先入観があれば気付くけど、先入観がないと気付かない。
フッと気付くのは。
たまたま、そんな先入観で見てたからかも知れない。
そんな色眼鏡で見ていたからかも知れない。
それにどうでも良い知識がヒントになっていく。
知識が知恵になっていくのは。
人の[好き]とか[嫌いと]いう感情に起因している。感情によって増幅してしまう。良くも悪くも引っ掛かってしまうからで、人は感情が働かないと、そのままスルーしてしまう。
先入観は偏見にもなれば[気付き]にもなっている。
先入観は欠点でもあれば能力にもなっている。
日本人には、とりあえず、ついていく従属性に特徴があって、その時!思考力や判断力は二番目に降格してしまう。主体性を失っている。
それらは群れる動物の習性で合理的な説明はできるのかも知れない。
群れる動物は一匹が警戒音を発すると、群は一瞬で巣穴に逃げ込んでしまう。
動物にも感情はあって、危機感のような感情は一瞬で伝わっている。
動物も人も、周囲の[感情]に感化されやすいのは必要性があって、進化の過程で身に付けている。
しかし感情には群集心理のような過剰反応もあって[負の能力]にもなっている。
先入観も感情も、能力にもなれば欠点にもなっている。
知能には[負の側面]があって「知能とは、そういうものかも知れない。」
レオナルドダヴィンチは[ADHD]という結論になるらしく、ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから有名な曲を作曲している。
日本人には、とりあえず、ついていく従属性に特徴があって、その時!思考力や判断力は二番目に降格してしまう。主体性を失っている。
しかし!
ベートーヴェンの失意から求めている[美]にシンクロして「彼は、そんな[美]を求めていたのか。」と共感する。
「彼は耳が聞こえないんだ。」と失意に共感するのは日本人くらいかも知れない。
そしてブレイクスルーしていく[美意識]も「そんな挫折から。」と、挫折と関連付けて共感できるのかも知れない。
「感情」の反対語で検索すると。
感情(かんじょう)の対義語・反対語は理性(りせい)です。
ただ!
日本人の[感じる力]は、感化されやすくて、場の空気に影響され、もう自分の意見なのか他人の意見なのか区別がつかなくなっている。
しかし!
ベートーヴェンの挫折や、そこからの逆ばねに感化され、日本人は感情で理性以上のものを理解している。
そして日本人の優れているところは、ちゃんとルールを守って、群集心理で無秩序になっていく感情の[負の側面]が少ないところかも知れない。
日本人には、とりあえず、ついていく従属性に特徴があって、その時!思考力や判断力は二番目に降格してしまうけど、ドイツ人よりも日本人の方がベートーヴェンの[ひらめき]や[気付き]にシンクロしているのかも知れない。
知能には[負の側面]があって「知能とは、そういうものかも知れない。」
そして!
それは他力本願な共鳴・共感でも、揺れて、理解し、学んで、自分のものにしている。
感情はテストに馴染まない。
「そんな日本人の優れた点を、どうやってテストするんだ。」