「フォン・ノイマン」で検索すると。
フォン・ノイマンとは、ハンガリー出身の数学者・物理学者・経済学者である。 現在採用されているパソコンの基本的構造である、「ノイマン型コンピュータ」と称される設計を考案した人物として知られている。
彼は数学の優等生で、いきなり才能を発揮して、天才児として評価されている。彼には欠点などないのかと思うと、そうでもなく。
彼は音楽には興味を示さなかったらしい。
彼の数学力は、数学のもつ不変の法則にリアリティーを感じて、音楽のような非科学には、彼の才能は反応しないみたい。
ただ!
法則のある計算力ならコンピュータ-の方が優れている。
もっとも、そのコンピューターは、彼らが創ったものらしいけど。
どうやら!
数学力は、我々が認識するよりも多様なものらしい。
脚力でも短距離と長距離は、まったく違う能力で、もっと多様な指導を必要としている。
数学力でも、生徒は何処にリアリティーを感じているのかで、生徒の資質を分けて指導する必要があって。
もっと多様化しないと、数学の天才児を育てることはできないのかも知れない。
数学は法則に支配されている。
数学者は法則に従って答えを導き出しているのに。
『不思議の国のアリス』の作者は数学者なのに法則など無い世界にいる。
法則が壊れているのは個人的な理由かも知れない。
ルイス・キャロルで検索すると[小児性愛者]という記述がある。
それは数学とは関係ない個人的な理由で、現実からは遠く離れた空想の世界で長い時間を過ごしているうちにリアリティーが生まれている。
[小児性愛]は、今でも犯罪として扱われる。秘密にしなければならない。
現実から遠く離れているのは「そこは知られたくない。」そんな心理が働いているのかも知れない。
「小児性愛」で検索すると。
小児性愛障害は、小児(通常13歳以下)を対象とする、反復的で性的興奮を引き起こす強い空想、衝動、行動を特徴とします。 小児性愛では、男児のみ、女児のみ、または男児と女児の両方が関心の対象になり、小児のみの場合もあれば、小児と成人が対象になる場合もあります。
深刻さを感じる。
法則が絶対な数学者なのに「どうして法則が壊れているんだ?」
これは彼の欠点・欠陥という理解で良いのかも知れない。
学習障害の研究が進んで「かつての天才達が、学習障害に当てはまってしまう。」という記述を目にすることが多い。
ブレイクスルーしていく原因が小児性愛のような[負の感情]なら「そうなのか・・・。」と、なんとなく理解できるけど。しかし!テストには馴染まない。
そして自分の考えを積み重ねていく[正の発想]も変化してしまうので、どっちもテストには馴染まない。
日本人は周囲の“変化”に反応する。
ベートーヴェンは耳が聞こええなくなってから有名な曲を作曲している。
ベートーヴェンの不安感や絶望感という[負の感情]にシンクロして「彼はそんな[美]を求めていたのか。」という高揚感にシンクロすると、感情は大きく揺れて伝わってくる。
音楽は科学ではなく。
音楽に正解はない。
しかし揺れて!
変化して[伝える力]は科学を超えている。
機械的な計算力ならコンピューターがあるんだから。
そしてフォン・ノイマンのような天才的な数学者によって法則が出来ているのなら、答えを隠すテストではなく、答えをイメージするジグソーパズル化すると、周辺の知識をピースに変えてジグソーパズルは完成する。
法則は答えから考える。
法則はジグソーパズル化すると分かりやすいのかも知れない。