王貞治 20 | エイジのブログ

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イチローや王貞治の様に前足に特徴のある打者だと、前足でタイミングを合わせる方法が見つかるような予感がする!!

 

しかし!

求める答えは“錯覚”のようなものかも知れない。

 

そして!

人の思考力には空想やイメージ力のような非科学的ものも必要としている。

 

「氷が解けたら春になります。」と答えた児童は理科ではなく、国語で考えている。

 

国語は科学ではない。

 

前足でタイミングを合わせる方法は、前足で「ゆっくり感じる。」それは“錯覚”のようなもので、理科ではなく、国語で考えると良いのかも知れない。

 

一本足打法は純粋に日本製で、日本的なものから生まれて、間(ま)のように日本的な解釈をされ、日本で進化している。

 

映画も見てる人の体験が上乗せされて、より面白くなっていく。

むしろ自分の記憶を思い出して感情移入しているのかも知れない。

 

数学は数字と記号で、まるで暗号みたいで意味が分からない。

 

7」という数字には皆が知っている意味しかなく。数学者は「7」に何かを上乗せしている。何かをイメージしている? 「数学は国語で理解すべきなのか?」

 

最近の研究ではレオナルドダビンチは「ADHD」だったという評価になるらしい。

 

[モナリザ]のように写実的な絵を描くレオナルドダビンチの空想は、脳の一部が壊れて、ブレイクスルーしていく。

 

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから有名な曲を作曲している。彼の美意識は楽器の限界を超えている。我々は演奏家を透してベートーヴェンの美意識を聞くことができる。

 

ベートーヴェンは、そんな[美]を求めていたのか。

 

一本足打法は純粋に日本製で、日本的なものから生まれて、間(ま)のように日本的な解釈をされ、日本で進化している。

 

国語は科学ではない。

 

『王貞治物語』を書いてると、ついつい周辺にある知識を盛って『王貞治物語』を膨らませていると重要な点に気付くことができる。

 

それは、どうでも良い知識をヒントに変えている。

 

やはり!

国語は科学ではない。

 

学習障害や発達障害の研究が進むと、レオナルドダビンチは「ADHD」だったという考えたこともない展開をしている。

 

ADHD」とブレイクスルーしていく壊れた発想は、どこかでつながっていくのかも知れない。

 

当然!

ADHD」もブレイクスルーも壊れていて、科学ではない。

 

『ティファニーで朝食を』で検索すると。

 

ニューヨークの安アパートに暮らすホリーの日課は、一流宝石店ティファニーのショー・ウィンドウを見ながら、朝食のクロワッサンを食べることだった。そんなある日、彼女のアパートの隣室に、作家志望の青年ポールが越してくる。そして、ポールはたちまち、不思議な魅力をもつホリーに惹かれていく。

 

CSで『ティファニーで朝食を』を見ながら1960年代の時間が、ゆっくりと過ぎていく。不思議なホリー(オードリーヘップバーン)を見ながら余韻を味わっている。

 

思考の出口は科学でないと意味がないけど、入口は空想でも構わない。

 

「古池」や「蛙」に、それ以上の意味なんかないのに、なぜか余韻を感じる。

 

「古池」や「蛙」に「なんだろう?」と感じて、その余韻を言葉で埋めたくなってくる。

 

日本人は日本語という最強の武器を持っている。

 

NHKの番組で、人は、ぼっとしている時に、ひらめく。」と言っている。

 

日本人のイノベーションに効果的なものは科学ではないのかも知れない。

 

『ティファニーで朝食を』を見てると、たっぷりと余韻があって、時間が“ゆっくり”と過ぎていく。

 

「慌てない方が良い。」