アメリカでは自閉症児の中に理数系で才能を発揮する子がいるという。
自閉症児は自力だけでは無理で、大きなサポートを受けているはずで。
自閉症は学習障害で、欠点でしかないけど。
どうして大学に入学できるんだろう?
しかもアメリカの有名大学に入学できるんだろう?
そんな!
そんな成功例を目撃すれば、致命的な欠点さえも能力に変えていると考えれば、驚くべき教育力で、大いに興味が湧くのかも知れない。
致命的な学習障害も役に立って「捨てるものは無いなぁ。」という印象を受ける。
日本人の学習能力は[心理学]とのハイブリッドかも知れない。
日本人は周辺の変化しそうな気配に敏感で、他人の気付きでも一瞬の変化として、見逃さない。
「古池」や「蛙」に、それ以上の意味なんか無いのに、それ以上の意味を感じる。
俳句は言葉の持つ意味以上のものを想像してしまう。
日本人の学習能力は[心理学]とのハイブリッドかも知れない。
ものを考えない人を見てると。
「話がつながっていかないなぁ。」
しかし!
話がつながっていくのは科学ではなく「そうなら良いのに。」という願いで、恣意的に[ゆがめられて]いくことで話は繋がっていく。
自分の母親は他人に影響されやすく、流されやすい人間だったけど「どうして自分で判断しないんだろう?」とずっと悩んできたけど、尋常小学校しか出ていないのが原因かも知れない。
当時の学校は、今以上に権威主義的で「教科書は正しい。」と教科書の否定は認めない。Yesしかない教育で、判断力を育てる教育ではない。
しかし!
日本人は空気を読むので、他人の気付きでも、そのまま感じ取っていく。
俳句は「古池」や「蛙」のように、言葉の持つ意味以上のものを感じることができる。
さっして理解するのは日本人だけで、波長を合わせてYesだけで理解している。
俳句はYesだけでも言葉の持つ意味以上のものを感じることができる。
俳句は日本特有の文化で、感情の揺れのようなものまで正確に伝える。
判断力にはYESとNOが必要だけど、YESだけで、言葉の持つ意味以上のものを感じる。
日本人の理解力はユニークで!
自分だけ置いていかれるのが怖いのかもしれない。なんとか、ついていこうとして、YESだけで限界を超えていく。
日本人の思考にはNOがなく、積み重ねていく足し算で考えている。
日本人は科学者というよりもエッセイストかもしれない。
俳句は五・七・五しかなく、足し算で理解している。
だからこそ!
王貞治や星野伸之は成功例だけど、変なことをしている。
変な行為は才能ではない。しかし、変な行為から偶然!考えたこともないものが生まれている。
足し算で理解している。
変な行為も、それが完成すれば役に立って「捨てるものは無いなぁ。」という印象を受ける。
日本の教育は教科書の枠しか認めず、それ以外は[×]をつけて、ブレイクスルーしていくことはない。
「氷が解けたら何になりますか。」という先生の質問に「氷が解けたら春になります。」と答えた児童がいたという。
この子は理科の質問に国語で答えている。
この子のように、日本人の学習能力は[心理学]とのハイブリッドかも知れない。