[ひらめき]は、誰にでも起こり得る現象で、才能は必要ないのかも知れない。
というか!
[ひらめき]という現象は、突然の変化に過ぎず。
変化していく様子から「そうか!」と気付くことが多い。
もっというと!
[ひらめき]は科学でも
[ひらめき]を得る手段はアニメや空想のように科学ではないのかも知れない。
科学をいうと[ひらめき]は得られなくて。
科学を忘れることで、誰にでも起こり得る現象で。
[ひらめき]はイレギュラーバウンドでグラウンドが荒れているから起こる訳で、評価に馴染まないのかも知れない。
そして!
判断にはyesとnoの両方が必要なように。
[ひらめき]は常識をブレイクスルーしていく一面があって、常識の破壊がないと[ひらめき]は生まれてこない。
日本では「教科書は正しい」と教えて、教科書の否定は認めないので、イノベーションが生まれてこない。
最近では自治体の広報誌にアニメが多く用いられているけど、もしかして写真よりも効果的なのかも知れない。
写真よりも漫画の方が想像を誘って、想像を付け足して見ている。
写真よりも漫画の方が、妄想が膨らんで、刺激的で、ついつい想像を付け足して見ている。それも[ひらめき]かも知れない。少なくとも何か気付くものがあって。
まず空想という広がりがあって、新しい言葉が必要になって、新しい表現を気付きと感じるのかもしれない。
エルビスプレスリーは60年代の黒人街で育って、ブルースの影響を強く受けている。黒人のブルースはカッコ良い音楽ではなく、激しい人種差別を受けた黒人の[負の感情]から生まれた音楽で。
ブルースは現状打破を願って、そこからのブレイクスルーしていく[負のエネルギー]に満ちている。ブルースは、そんな黒人の歌で、ブルースにカッコ良さを求めると何も感じられなくなってしまう。
ブレイクスルーしていくエネルギーは人種差別や軽蔑から生まれてくるもので、能力ではなく。
有名人で検索すると「〇〇障害児」だったという記述が気になる。
彼らの[ひらめき]は才能というよりも[負のエネルギー]から生まれてくるのかも知れない。
日本の教育は「教科書は正しい。」と教えているけど。それとは逆に[負の思考力]に注目すべきなのかも知れない。
どうしても教科書に載っている学者の意見は正しいと思ってしまう。
理解する方法として、才能と買いかぶるよりも[負の思考力]と考えた方が「なんだ、我々と一緒じゃない。」と距離感は無くなる。
なによりも、教科書は正しいと教えると学者の常識をブレイクスルーしていく発想が理解できなくなってしまう。常識が壊れていくことに、現実感を感じることが出来なくなってしまう。
結論は正しくないと意味がないけど、彼らは常識は正しいと思ってなく、否定している。
彼らの思考力は、肯定よりも否定の方が多く。
もっと言えば!
否定というよりも、彼らは優勝な学者だけど、脳の、ほんの一部に障害があるのかも知れない。
「彼らは、完璧ではない。」
スティーブ・ジョブズは社員を激しく、ののしっている。
妥協性が無い。
彼は人格障害かも知れない。
〇〇障害と考えた方が、むしろ説明は容易なのかもしれない。
エルビスの歌い方は、ビブラートというかシンコペーションが多くて、何処が良いのか分からなくなってしまう。
ハチミツのような甘い歌声は、黒人のブルースという[負のエネルギー]によって、感情は、こみあげてくる。
イノベーションには破壊的な要素が多く、だからこそ、テストをすると失敗してしまう。