日本人の弱点は従属的で、他力本願で、自力で考える力が弱い。
「しかし、それで良いのかも知れない。」
少数の他人を出し抜く[No.1]と、多数は優秀な二番手(No.2)の組み合わせでイノベーションは完結できる。
それは単に、ついていく能力だけではなく!
異質なものに関連性を感じて結合していく。足し算で考えている。これも一つの創造力かも知れない。
能や日本画のように説明不足なものに解釈を上乗せしている。
日本には、そんな優秀な二番手(No.2)が大勢いて、足し算で考えている。
誰かが、フッと気付けば良い。
ボールが速く見えたり、ゆっくり見えたり。欠点が才能に変わったり。
現実は意外性に満ちている。
日本人は間(ま)という概念が好きで!
間(ま)は、何もしてない。
何もない、無の状態で。
誰かが気付くと、それを、まるごと、ひっくるめて大きな間(ま)で吸収してしまう。
日本人は、無言の能を見ると、何を言ってるのか気になってしまう。
外国人は無言の演者に距離感を感じるだけだけど!
日本人は心理的な距離感が近くて、ついつい「何を言ってるんだ?」と想像してしまう。
日本人特有の[感じる力]は、距離感の近さが原因かも知れない。
映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』の中で、ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンは父親からのDVの中で育って、批判されても、それを受け入れる人間になってしまった。
彼はカーラジオでディズニーの『星に願いを』を聞いて『サーファーガール』を作曲したと言っている。
そのままコピーなら盗作だけど、ついつい空想してしまう。
現実は見たくなくて、現実逃避して空想してしまう。
彼は父親からのDVの中で育って、現実に距離を保って、現実からは遊離して、空想の中に逃げ込んでしまった。しかし、そんな空想を身近に感じて、空想には現実感があったのかも知れない。
複雑な距離感を感じる。
ルイス・キャロルの『不思議の国』という五次元の世界には、現実感があって!
すぐ傍にアリスがいる。
ルイス・キャロルに、何が、あったんだろう?
そこにあるのは、決して美しい話ではない。
東大生は優越感を感じているのかも知れない。しかし!リアリティーを感じない話し方が気になる。
受験数学はマニュアルを暗記しただけで、必要性もなく、目的もなく計算して「何が面白いんだろう?」
教科書は目次に過ぎない。
現実感の無い目次を暗記して、何が面白いんだろう?
日本人は心理的な距離感が近くて、能を見てると、ついつい「何を言ってるんだ?」と想像してしまう。
しかし偏差値で序列化して、お互いに距離感があって[感じる力]を失くしている。
そこにいるのは、常識をブレイクスルーしていくNo.1ではなく!
足し算で考えるNo.2でもない。