ボールが速く見えたり、ゆっくり見えたり。欠点が才能に変わったり。まるでティンカーベルに魔法をかけられたみたい。
現実は意外性に満ちている。
日本人の欠点は、場の空気を読んで主体的な判断や行動ができない。
仲間外れが怖くて、周囲と違う判断や行動ができないところで、そんな集団志向性は、もしかしてDNAに起因して、体中のDNAをすべて書き換えない限り、変えられないのかも知れない。
もしも、それがDNAのプログラムなら、それに従って行動した方が良いのかも知れない。
日本人の弱点は、思考や行動が従属的で、他力本願で、自力が弱いところで!
「しかし、それで良いのかも知れない。」
日本人は[場の空気を読む]理解力で、一瞬の変化に、ついていく優秀な二番手(No.2)で、少数の他人を出し抜く[No.1]と、多数は優秀な二番手(No.2)の組み合わせがベストなのかも知れない。
「多数は優秀な二番手(No.2)の方が良いのかも知れない。」
現実は意外性に満ちている。
日本人は量子力学のような不思議な話でも、欠点が才能に見えてくる逆転現象でも、あっさりと受け入れている。
有名な画家は精神を病んでいても「画家とは、そういうものだ!」という判断はできるのは、知識としてインプットされているからで、たとえ合理的に説明できなくても、理解できてなくても、そういう判断はできる。
人の理解力や判断力は、たとえそれが非常識なものでも成功体験なら、あっさりと受け入れている。
特に日本人は日本語で考えているので、とりあえず受け入れて、説明は後付けでも良い。
数学を考える力は、計算力とは違って、仮想通貨のように[分からないことに価値のある数学]だったり、そしてそれは「どういうことなんだ?」と行き詰って「なるほど!」と納得すると、分からなかった理由に気付いて「ここを秘密にすると、絶対に分からない!」という悪知恵が働いて暗号資産を設計できるのかも知れない。
「反対方向に打て。」TVを見てると、そんな[あいまいな話]をよく聞く。
たとえ、うまく説明できなくても野球解説者の成功体験は高揚感として伝わると、場の空気を読む日本人は「うん?」と気になってしまう。
成功体験は、うまく説明できなくても、誰言うとなく、少しづつ成功体験が上乗せされて、予想外な展開をしながら、やがて野球理論として完成している。
しかし、それに気付くのに何年もかかっている。
何年も「うん?」「どういう事なんだ?」と長い時間軸で考えているからこそ結論に行き着いている。
あいまいな会話でも、とりあえず成立しているのは日本だけかも知れない。
結論から言わないといけない英語では、こんな会話は有り得ない。
日本人は、うまく説明できない話でも、なんとなく雰囲気で伝えて、なんとなく会話は成立している。
ボールが速く見えたり、ゆっくり見えたり。欠点が才能に変わったり。
まるで五次元の世界みたい。
現実は意外性に満ちている。
日本人は優秀な二番手で、ストライクゾーンが広い。
それは二次的な[感じる力]で、周囲を出し抜く能力ではない。
イノベーションではNo.1だけが勝者で、No.2は敗者に過ぎないというけど!
しかし!多数は、そんな優秀な二番手(No.2)の方が良いのかも知れない。
奇人変人のNo.1と、常識人のNo.2は、お互いを必要としている。
偏差値は必要ない。