日本では鉄腕アトムや鉄人28号というアニメを見て育っているのでロボットの研究者が多くロボット産業が発達しているように、最近では『M1』を見て育った子は、むしろ良い感じに壊れている事に抵抗感はなく!
常識を超えた発想力は、案外!そんな環境で芽生えてくるのかも知れない。
数式を見て、数学者は何の計算をしてるんだろう?
何を空想しているんだろう?
数式も、まるで暗号みたいで、マニュアルを丸暗記して意味はスルーしている生徒が多い。
日本では鉄腕アトムや鉄人28号というアニメを見て育っているので、ロボットの研究者が多いように!
「その考え方に、どんな数学的な必然性があるんだ?」と考えてしまうけど、数式よりも数学者に注目すると、案外!子供の頃、読んでいた本が原点なのかも知れない。
「数学的な必然性がある!」というよりも、数学者にも限界はあって、たまたま知っている知識やその時代の理論を仕立て直している。
「そんなものかも知れない。」
そんな「とりあえず答えを出しました」と言ってるような自己流のやり方は理解するのではなく刺激されて、その先自分も「とりあえず答えを出しました」と知っている知識を加工して、問題も、答えも、作ってみる。
日本人は、人の意見に影響されやすく、そんなところに可能性は、あるのかも知れない。
特に日本語は情緒的で感傷的な言語で話の中でチラチラと本音が出てしまう。
人の本音に反応して、たまたま知っている知識やその時代の理論が、刺激されて膨らんだ気持ちの中に、はめ込まれていく。
日本人は、人を介した方が伝わりやすい。日本人は、人の気持ちの変化に過度に刺激されてしまう。
判断は肯定と否定の綱引きだけど、しかし日本の教育には教科書の否定はなく、肯定して受け入れる片道しかない。
群れる動物は、必ず仲間と同じ行動をしている。
そんなDNAに支配されて、群れから離れるという選択肢は有り得ない。
日本の教育には、教科書は[正しい]という教え方しかない。
[正しい]という方向は、答えが一つしかなく、それを受け入れるしかなく、教科書の否定は有り得ない。
日本人は、人に本音を感じる強力なレーダーが機能している。仲間と同じ行動をする。しかし、それがアダになって自分で判断できなくなってしまう。
[正しい]という価値観は、常識の殻に閉じこもっている。
時間は止まってしまう。
[正しい]それは結論が出て終了している。
ルノアールが「腐った肉のようだ!」と批判されたのは、画才に問題があったのではなく、単に絵の具の問題かもしれない。
[完璧]で検索すると!
完璧は「傷のない玉」が本来の意味、とのこと。
数式を完璧なものと考えると、理解できず自信を喪失してしまう。
数学者にも限界はあって「その考え方に、どんな数学的な必然性があるんだ?」と考えるよりも、案外!子供の頃、どんな本を読んでいたのかと考える方が良いのかも知れない。
そこには数学者によって育った環境も違えば、知識も、考え方も違ってくるので、他人の考えが理解できないのは当然かも知れない。
「数式には、数学的な必然性がある。」というよりも、案外!数学者にも限界があって、そんな考え方しか出来ないのかも知れない。
がゆえに完璧主義や権威主義を捨てて、テストではなく、生徒に問題も答えも作らせれば、数式の意味は分かるはず。
数式の理解は、数学者が、そうした様に、問題も答えも自分で作るしかないのかも知れない。