大学入試37 | エイジのブログ

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

プロファイリングで検索すると!

 

過去の犯罪事件にかかわる諸種のデータベースを活用して、新たな事件の犯人の型・特色を割り出す方法。」とのこと。

 

それに次のような記事があって!

 

米シカゴ市警察がサウスサイドにて犯罪予測システムを導入し、凶悪事件が激減した成果を発表しました。米ロイターによると、今年1月から7月にかけて、シカゴ全域で殺人事件が前年同期より3%増えた中で、この地域では発砲事件が39%、殺人事件が33%減って34件になったとのこと。

 

日本人は子供の頃、TVで鉄腕アトムや鉄人28号を見て育っているのでロボットの研究者が多くてロボット産業が発達しているのかもしれない。

 

そしてアメリカではシャーロック・ホームズを読んで育っているので、推測して犯人を予測する捜査手法が進歩しているのかも知れない。

 

学者達の育った環境から、常識的で科学的な考えにこだわりはなく。むしろ非常識で非科学的な考えに興味があるのかも知れない。

 

そんな不思議の国のアリスのようなことばかり考えている学者に権威という言い方はぴんとこない。

 

未知の世界には専門家なんかいない。

いるのは素人で非科学的なことばかり考えている非常識な学者しかいない。

 

日本の教育は「教科書は正しい!暗記しなさい。」と教えて、それが変だと思っていない。

 

教師も教科書だけで勉強しているので自然に教科書は正しいと考えて、そのことに何の疑問に感じていない。

 

日本の教育のあやうさは、権威という言葉が象徴している。

 

本来彼らの発想には磁石のような吸引力があって、教科書には引き付ける魅力があるはずだけど、ヨーロッパの歴史や価値観の中から生まれているので日本人には分からなくてもしかたない。

 

テストをして正解という模範解答を答える生徒が優等生になっていく。

 

そんな教育からは才能は育たない。

 

何年か前、中曽根首相が「人は得意の分野で失敗する」と言っていたけど、1997年のアジアの金融危機の時に、過去の成功体験で失敗する事を認識させられ、過去の成功体験は現状維持につながって、やがて技術革新で出遅れるをことを日本人は学んでいる。

 

日本のテストは、その現状維持能力のようなもので、そんな教育からは当然!技術革新をリードする学者が育たない。

 

日本はイノベイションで出遅れている。

 

技術革新をリードする人物は、まるで預言者のように未来を見つめているのかも知れない。

 

それは学問ではなく、アニメや推理小説から始まっている。

 

アニメや推理小説で好奇心のスイッチが入って、発想は、もう常識や科学の境界線を越えている。

 

日本では、生徒の評価をテストに頼り過ぎている。テストには正解が必要で教科書を権威付けることで、辛うじて教育の権威を保っている。

 

「教科書は正しい」と教える一番の原因は、教科書に載っているのは、ほとんどがヨーロッパの学問で直接学者を見たことが無い。

 

むしろ教科書に載っている学者達は、まるで預言者のように未来を見つめている。

 

彼らの発想は、アニメや推理小説のように常識や科学の境界線を、あっさりと超えている。

 

直接、彼らの話を聞くと意外な展開が面白くて!

そもそも[正しい]という価値観は現状維持で、おまけに終了した過去の話で、魅力を感じなくなるのかも知れない。

 

大学入試が記述式に変わると、日本語は[あいまい]で、結論という終着駅としては弱くて、むしろ!日本語は、そこから展開していく始発駅で、アニメや推理小説のように常識や科学の境界線を、あっさりと越えていく発想に向いているのかも知れない。