フランスのバカロレアの問題を読むと正解の無い質問をしてくる。おそらく偏差値型の優等生には荷が重いはず。
宮台真治の話を聞いてると専門用語の羅列で何を言ってるのか分からない。
俳句は宮台真治とは逆に、次第に、ありふれた言葉を
使うようになっていく。
ありふれた言葉でも推敲を重なるたびに質の高い俳句になっていく。
推敲が足りないと、どうしても質の低い文章になってしまう。
日本語は連想が働くし、読者は[さっして]行間を読んでいる。
日本語は、まるで生き物の様に感じる。
宮台真治の話を聞いてると専門用語の羅列で何を言ってるのか分からない。宮台真治が考えて発見した高揚感が無い。
専門用語は英語のように意味が確定した単語で、
たしかに便利に使える。
それに日本の数学教育も同じで、計算という確定する
最終段階しかない。
しかし数学は法則という、まるで氷山のように見えない部分が多い。
日本の数学教育には、法則という見えない部分がなく、日本から有名な数学者が育たない。
見えないものは、もう想像するしかない。
宮台真治の専門用語だけの話を聞いてると、何を言ってるのか分からない。
日本の教育は知識の暗記という、氷山の一角だけを暗記する教育をしている。
しかし破壊があって創造があるように!そして非常識な空想で常識をブレイクスルーしていく、そんな破壊的で非常識な発想は[欠点]かもしれない。
それは氷山の大部分は海の中にあって見えないように、結論に至る大部分は非常識な発想や妄想のように質の低いものかも知れない。
しかしブラックホールは爆発から全てのものを飲み込んでいく吸引力が生まれているように、それらは反力のようなもので反対方向に働く力で、欠点の、その先で能力は現れている。
学者の破壊的!非常識な発想が気になる。
「彼らは優等生なの?」
学者は個人的な事情で現実感から逃げ出して、
空想の側から見つめている。
氷山の見えない部分には、学者の他人には知られたくない事情があるのかも知れない。
発想力は二段階目に現れてくる。
東大生は模範解答を即答する優等生かもしれない。
しかし!東大生の話を聞いてるとリアリティーのない
話し方が気になる。
イギリス人は皮肉屋で問題点を指摘して妥協しない。
そして、そんなイギリスはバラバラになってしまった。
一緒にいるのが嫌みたい。
イギリスからは、スウィフトのようにイングランドへの否定的な感情から、非常識な発想でブレイクスルーしていく[破壊があつて創造がある]自己完結型の思考力をする作家や学者が多い。
否定的な感情や非常識な発想は[質の低い能力]なのかも知れない。
日本でも俳句は次第に[ありふれた言葉]を使うようになっていく。
しかし推敲を重なるたびに質の高い文章になっていく。俳句は氷山の一角のようなもの。
大竹まことは「筆が進まない」とぼやいていたけど、質の高い文章を書こうとして、書き始めるきっかけが、つかめないのかも知れない。
有名な学者でも考え始めるきっかけは嫌悪感や不安感、そして他人には知られたくない個人的な事情で妄想していたり、案外!質の低い感情に背中を押されて考えている。それが現実かも知れない。
そして「アイツは嘘つきだ!」という悪口を聞かされて、そんな先入観で見ると、知りもしない人が嘘つきに見えてくる。
学者の個人的な事情から考えられた話は、そんな感情的な先入観を伴って、意外と分かりやすいのかも知れない。
点数が高い方が優秀という考え方は破綻している。
