[溺れる者は、わらをもつかむ]と、まず疑問や行き詰まり感があって!そこから、その反対という発想につながっている。
案外!発想の転換は失敗体験から、その逆という、
そんな低次元な考えで良いのかも知れない。
そして不安感が考える、きっかけになっている。
ニュートンは、空を見つめて考え事ばかりしている。
[一人ぽっち]の孤独感を感じる。
[一人ぽっち]の妄想をしている時、人目や他人の評価は気にならない。
[一人ぽっち]の妄想は、彼を自由にさせている。
どれも低次元の話だけど、案外!人の思考力はそんなものかも知れない。
科学的なハードルは想像よりも低いのかも知れない。
答えと、答えを導き出す[手段]を分けて考えるべきで、答えを導き出すためには、最初に空想という非科学的な発想が必要だったり!常識をブレイクスルーしていく
破壊的な発想も必要で、答えとは正反対な方向を向いている。
そして能力は答えを導き出す[手段]の方で、答えとは
反対方向を向いている。
偏差値型の優等生は、模範解答の方向を向いてハードルが高い。
しかし学者の非科学的で非常識な自由な発想はハードルの低さからきて、いたずらに買いかぶらない方が良いのかも知れない。過大評価しない方が良いのかも知れない。
答えと、答えを出す[手段]を分けて考えるべきで、自由な発想は答えではなく[手段]で、その段階は科学的なハードルの低さは問題ではなく、むしろ非常識・非科学な考え方から発想力は生まれている。
『不思議の国』は非常識で非科学的な物語だけど楽しくて、架空の世界に引き込まれてしまう。
非常識で非科学的な空想には点数のつけようがない。
直接、彼らの話を聞けば、むしろ非常識で非科学的な空想に思考力を感じて、テストの点数にこだわらない方が優秀!と感じるのかも知れない。
大竹まことは「筆が進まない」と言っていたけど、
答えと直結させようとして「分からない?」という疑問や「そうか!」という[ひらめき]や発見がなくなってしまう。答えに、たどり着くまでのプロセスがなくなってしまう。
「あわてない方が良い。」
生徒の「分からない?」という疑問は可能性のある分からないか、可能性のない分からないか判断できるはず。
それに非常識な『ガリバー旅行記』を読んでスウィフトをアホな作家と思う人はいない。
『ガリバー旅行記』を読んで非常識な発想も可能性があるのか、可能性はないのか判断できるはず。
仮想通貨は「分からない?」と行き詰まった経験と、
そして架空の通貨に現実感を感じる『ガリバー旅行記』のような空想力が必要で、そんな能力は、これまでの
日本の教育では重要視されてこなかった。
スウィフトはアイルランド人でイングランドの対する
怒りという[負のエネルギー]から風刺小説に現実感が
生まれている。
日本の偏差値型の優等生とは違う方向をむいている。
イングランドを暗に批判している。
答えを出そうと話をまとめている訳ではなく、むしろ壊そうとしている。
日本の教育では模範解答を即答する生徒しか評価されない。
その方向には非常識で非科学的な空想という考えるための[手段]がない。
「そっちを向いている生徒に、仮想通貨が理解できるの?」