大竹まことのラジオでビットコインの説明を聞いて、少しだけ理解できたけど、やはり日本は管理があまいみたい。
これまでも日本の半導体技術が流出して致命的な損失をこうむっている。
ブロックチェーンも重要なキーワードらしいけど、暗号化技術で日本人の数学力の弱さが目立っているけど、「むしろ、それは日本人の得意な分野じゃないの。」
「アイツは嘘つきだ!」という悪口を聞かされると、知りもしない人が嘘つきに見えてくる。
先入観は偏見にもなれば発見にも、つながっていく。
そして、そんな先入観がなければ気付かない。
脳というコンピューターが機能するためにはソフトを
インストールしなければいけない。
人の脳のソフトに該当するものの一つが先入観かもしれない。
人が何かに気付くためには、そんな先入観が必要なのかも知れない。
それは先入観によって、ゆがめられたものだけど、
まず言える事は[正しく理解する]必要性のあるものと、正しく理解する必要性のないものに分けて考えるべきかも知れない。
日本人は、一本足打法からタイミングの合わせ方に気付いているけど、元々一本足打法にそんなものは存在せずフィクションで作り話に過ぎない。
ビットコインも数学者の空想というフィクションが何処かの段階で実体化したもので、最初は自由な空想という科学的なハードルの低いものだったのかも知れない。
それは、正確に見ようという気持ちを失くした瞬間から主観が働く。
人の解釈を見聞きして「人の心を読むなぁ~。」と思う瞬間があって、その人は自分の辛い体験を思い出している。
フラッシュバックのようにこみ上げてくる気持ちには痛みがあってリアリティーを感じる。
しかし、それはあくまでも自分の体験で、違う体験!
「人の心を読むなぁ~。」と感心する事があって、それは相手側から見ている。
それは自分も一方的に否定された怒りがあって、ついつい批判される側に感情移入してしまう。客観的な見方は、実は主観的な見方そのものなのかも知れない。
人は結局[否定]で考えているような気がする。
怒りのような否定的な感情は納得できなくて、いつまでも尾を引く。
進化していくのが学習能力で、当然答えは変化してしまう。
正しい理解は現状維持で意味がない。
教科書に載る学者は慈愛に満ちた神様ではなく、こみ上げてくる否定的な感情で考えている。案外!それが実態かも知れない。
肯定的な気持ちは受け入れて、否定的な感情は受け入れない。変化していく思考力は、そんな歪んだ感情から
生まれてくるのかも知れない。
ビットコインが生まれる初期段階は数学者の[自由な空想]という科学的なハードルの低いもので、それは『不思議の国』のように理解するものではなく「楽しい!」と引き込まれていけば良いのかも知れない。
『不思議の国』は科学ではなく、ルイス・キャロルの
気持ちにシンクロさせる。
それは自分にも、そんな経験があって、ついつい感情移入してしまう!
それは自分自身の辛い経験で、フラッシュバックのように蘇ってくる。
それは自分自身自信の感情で、正しく理解しているわけではない。
ビットコインは数学者の空想から生まれてきたもので、正確に見ようという気持ちを失くした瞬間から主観が働くので、数学者の感情にシンクロさせて主観で感じるものなのかも知れない。
数学者の空想は理解するものではなく引き込まれていけば良いのかも知れない。
「それは日本人の得意な分野じゃないの。