大竹まことがラジオで「筆が進まない。」と、ぼやいていたけど、彼はコントというナンセンスな芸が得意で
論理的にまとめようとすると行き詰ってしまうのかも知れない。
ただ!思うのは「日本語って、そんな言語じゃないの。」論理的ではないけど漫才やコントという文化があって、日本人はナンセンスな会話を楽しんでいる。
漫才やコントは、話をまとめようという気がない。
ブラックホールは、爆発があって、次の瞬間!
全てを飲み込んでいくエネルギーが生まれている。
日本人には漫才やコントのようなナンセンスな文化があって、話は解体されていく。
しかしキーワードがあると、たった一つの単語でバラバラに存在していた知識が一つにまとまっていく。
漫才やコントにはナンセンスな爆発があって、
ブラックホールのように飲み込んでいく。
日本語は論理的ではなく、いきなり話をまとめようとすると何も思いつかなくなる言語かも知れない。
「筆が進まない」と言ってるけど、あせらずにナンセンスな会話を楽しんでいれば、キーワードが見つかって、フッと思いつくのかもしれない。
日本から才能が育たないのは、いきなり模範解答を求めるのが原因かもしれない。
学者の発想は、常識をブレイクスルーしている。
ブレイクスルーしていく発想は、漫才やコントのように話をまとめようとはしていない。
[ひらめき]を得るためには、話をまとめようとしない方が良いのかも知れない。ナンセンスな空想のまま、
あわてない方が良いのかもしれない。
蓄音機を見てレコードプレイヤーが発明されている。
それは蓄音機を見て「そうか!ひっかぎ傷に人の声が
録音できるのか。」とエジソンの発想からヒントを得て「それなら、もっといい方法がある。」と人に[ひらめき]を与えている。
エジソンの発想は、引っかけばキーキーという音がするけど「キーキーと音がするのなら、人の声が録音できないかなぁ~。」というナンセンスで無邪気な空想に現実感を感じて、試している。
そんな[ナンセンス]な発想にリアリティーを感じていることが気になる。
模範解答しか評価しない日本の教育からは[ナンセンス]な発想をするエジソンは育たない。
欧米人には論理的に説明をしないと伝わらない。
しかし日本語は論理的ではないけど漫才やコントという文化があって[ナンセンス]な会話を楽しんでいる。
学者の空想力は現実逃避していたり、小学校にもいってない無邪気な発想だったり!
学者の人生には、よくよくの事情があって、そんな[負のエネルギー]からナンセンスな発想をしている。
[ナンセンス]は、常識に囚われない[ひらめき]につながる重要なキーワードかも知れない。
日本人の論理的ではない会話が成立していることに意味があって、大竹まことは「筆が進まない」とぼやいていたけど、それは[ひらめき]がないからで、話をまとめようとはせず、彼の得意なコントのような[ナンセンスな発想]を楽しんでいれば、新しい発想を思いついて、筆は進むのかもしれない。