話してる様子が、いつも迷って混乱している子は、母親が原因かも知れない。
人は鏡で、人によって違う自分が写っているし、言葉のキャッチボールをしても、まるで違うボールが跳ね返ってくる。
人によって、自分の評価が違う。
ルノアールもセザンヌも生前は批判されて絵が売れなかったのも、やはり油絵に原因があって、彼らには透明感のある表現方法が必要だったのかも知れない。
小・中・高校では地図に従って、教師が教えた通り答える子が評価されている。
しかしそういう評価で選ばれるので、日本人大学生の自分で地図を作る能力が見劣りする。
ピアノやバイオリンは長い時間かけて技術を習得しなければいけない。
ただ技術力が優れていても音楽性が優れているとは限らない。
しかし両方とも必要で、結果的に相当ハードルが高くなってしまう。
今では電子楽器の進化で技術の習得は楽になっている。
日本の教育は知識を丸暗記させて、すっかり固定概念化して[ひらめき]を失くしてしまう。
しかし、タブレットPCが身近になると、知識は簡単に手に入れることができて、もう暗記は必要なくなっている。
日本人の学習能力は、ありふれた言葉に[ひらめき]を得ている。
ヒントは元々ありふれた言葉で、感じるしかない!
それは、ルノアールの汚くなっていく絵の具は見ないようにして、美しいルノアールを感じる。
ルノアールの絵に何かを感じて、絵の具は見ない!
日本の文化は簡素化されたものが多く、表現を消去して余白にして[感じる力]を覚醒させている。
イチローも王貞治も、あの大袈裟な形が気になってしまう。
それは見えないけど感じる[リズム]で気付いている。ハードではなくソフトで気付いている。
踏み込みで勢いをつけることに、こだわるとタイミングが合わない。
どうしても、うまくいかない。
そんな行き詰まりを感じている時、日本人は間(ま)という概念が好きで、逆さまな方向を向いていると、誰言うとなく耳にする[リズム]でハッと気付いている。
リズムは間(ま)で力を溜めたり、弾みをつけることもできる。
矛盾しているけど、できる!
「踏み込みで勢いをつけて。」
それに失敗して反対方向を向いて、そして弾みをつけるという結論まで、行ったり来たりしながら考えている。
日本人の学習能力は、どうしても時間がかかってしまう。
「急がせては、いけない。」
絵の具は見ないようにして、感じる。
矛盾した考えでも書き留めておけば、気付けばつながっている。
これらは[AI]にはできない。
有名人で検索すると、子供の頃は[○○障害]だったという記述が目立つ。
彼らには才能に欠陥があるのではなく、表現方法に欠陥があるだけなのかも知れない。
それは日本の教育にもいえて、記憶はPCに任せれば良い。
評価の仕方が間違っている。
進化した[AI]は正確に認識して、模範解答を即答する。100点満点の答えを出せることを目標にしている。
日本人の時間がかかって、変化する学習能力は何点が理想的なんだろう?
高得点をとる、正確な能力は[AI]に任せれば良い。
企業でも、社員の評価基準を決めるのは難しい。
そもそも、日本人の[感じる力]に点数をつけること自体が間違っている。