日本人の思考力には尺(長さ)が重要なのかも知れない。
「五・七・五」しか言葉がないと、ほとんど空想するしかない。
俳句は、そのほとんどが読者の空想で完成している。
しかし日本人は、そんな空想が好きなのかも知れない。
そして、日本人は連想ゲームで空欄を埋めようとする。
そんな「1」を見て「10」を知る日本人の中で俳句は完成している。
日本人の理解力は、創作力なのか?
9割が読者の空想なら、もう正確さの価値観は意味がない。
そんな日本人の理解力をテストするのなら70~80点くらいが丁度良いのかも知れない。
欧米人は100%説明しないと通じない。
しかし日本語は連想ゲームをしながら会話する言語で、日本人の思考力の長所は、時間をかけて考えれば考えるほど熟成していくところかも知れない。
日本語で伝言ゲームをやると5~6人も伝わると、話の内容がすっかり変わってしまう。
しかしその都度「うん?」という疑問や、個人の解釈が加わって都合良く変化していく。
都合良く変化することが進歩で、正確に伝わることに、それほどの価値はない。やはりテストをして70~80点くらいが丁度バランスが良いのかも知れない。
欧米では100%説明しないと会話が成立せず、結論だけの話になってハッキリしているけど深みのない話になってしまう。
しかし結論に行き着くまでのプロセスが能力で、空想は非科学的だったり、常識が壊れていたり、答えからは遠ざかっている。
そんな未完成で!非科学で非常識なものが能力とは思えない。
才能は、破壊的な思考力が勝っている。
才能をテストすると何点くらいが丁度良いんだろう?50~60点くらいか?
[AI]は自動運転車のように正確な認識能力と模範解答を即答する能力を進化させている。未来の[AI]は100点満点の答えが出せるのかも知れない。
俳句は、ほとんどが読者の空想で理解されて、そんな膨らんでいく空想に点数をつけると何点だろう?
日本人の思考力には尺(長さ)が意味を持ってくるのかも知れない。
「五・七・五」しか言葉がないと、ほとんど空想するしかない。
俳句は、そのほとんどが読者の空想で完成している。
そんな「1」を見て「10」を知る日本人の中で俳句は完成している。
数式を見ても数字と記号だけでは、意味がわからない。
問題を自分で作れば、意味が分からないということは有り得ない。
説明には多くの言葉を付け加えて、そこから必要のないものを削っていく。
付け加えたり!削り落としたりを繰り返すと、俳句のようにキーワード化された数式ができあがる!
日本の文化は簡素化されたものが多く、そして日本人の思考力には尺(長さ)が重要なのかも知れない。
俳句のようにキーワード化されたものを、空想して理解するのが日本人は好きなのかも知れない。
そして日本人が考えた数式は、俳句のように空想させて、ほぼ正確に伝わっていくのかも知れない。
しかしテストにこだわると[空想]しなくなって、意味が分からなくなってしまう。むしろ数式は[国語]と考えた方が日本人には分かりやすいのかも知れない。