最近では[AI]という単語を見ることが多く、そして何十年後には人の知能を超えるという予測を聞くけど「どうなんだろう?」将棋や碁のように答えのあるものは[AI]の方が優秀なのかも知れない。
しかし[ひらめき]は蓄音機を見てレコードプレイヤーを発明するように突然違うものに変化することで、そしてそんな突然の変化に価値があるのか、ないのかコンピューターには判断できない。しかも音楽のような芸術的な価値は数値化できないし、答えは何種類もあって一つではない。
イチローを見てタイミングの合わせ方を思い付いても、元々そんなものは存在しないフィクションで正確さとは対極にある。それは無から有を生み出しているけど、しかしそれは作り話のようなもので科学的な思考力とは言えない。
たしかに正解のあるものは[AI]の方が優秀かもしれない。
しかし[ひらめき]は突然の変化だし、学習能力は無から有を生み出すフィクションだったり、芸術的な価値は数値化できず、どれもこれも正解のようなものではなく、学習障害児の中に理数系で才能を示す子がいるという話は、うなずける。
答えに行き着くまでのプロセスが才能で、それは常識の囚われない空想や疑問という既存の答えを壊したり、存在しないものを思い描いたり学習障害児のような資質を必要としている。
[AI]は自分で学習しながら進化するというけど、[AI]にそんな学習障害児のような学習能力があるの?
[いわさきちひろ]の未成熟な子供に思い入れる日本人!
日本画の余白や能の間(ま)ように未完成で説明不足なものを見て想像するのが好きな日本人!
おそらく日本人の知能は、理数系というよりも文化系なのかも知れない。
