[いわさきちひろ]は幼児と向かい合う時、思い入れが先行している様子が感じられる。こみ上げてくる気持ちがないと描けない。
そして彼女の絵を見てる人には、後から気持ちがこみ上げてくる。
どちらにも思い入れがあるけど、何か、時間的なズレがある。
そして俳句は世界一短い詩だけど、俳人は何度も何度も推敲を重ねても常に気持ちが先行しないと俳句は詠めない。こみ上げてくる気持ちがないと俳句は詠めない。そして連想のようにものが後から追っかけてきて思わぬ展開をしたり!そして古い俳句にも新鮮な[ひらめき]があって常に新しく、決してアッという間に読み終わる短い詩ではない。
俳句の理解に、どうしても手間取ってしまう。
日本人が考えている姿は迷ったり悩んだり論理的に説明できない状態で「それは、誰かが気付けば良い。」
「自分が気付けなくてもかまわない。」という他力本願で才能を必要としない思考力に強みがある。
ただそれが裏目にでて、日本人は周囲の様子をうかがって自分で判断しない。
人には[先入観]が必要で、先入観がないと気付かない。
スティーブ・ジョブズもザッカーバーグも性格が悪く自分勝手に結論を決めてしまう。しかし自分勝手に決めてジグソーパズルの完成写真がイメージできているので、後は知り得る知識がピースに思えて、それらを並べて完成!
そんな自分勝手な性格が創造力につながっていったのかも知れない。
そして自分勝手に決めてしまう。それが[先入観]になって、そう見える。
彼らには何かが見えていたのかも知れない。
しかし日本人は周囲の様子をうかがって自分で決められない!
日本人のイメージ力を弱めている。
そして日本人は同情心がつよく自分まで弱めてしまう。そんなネガティブな一面を持っている。
群れる動物は一匹が危険を感じると群れに緊張感が走る。群れる動物は不安感や危機感というネガティブな感情で意思疎通をとっている。
[いわさきちひろ]は幼児と向かい合う時、思い入れが先行している。
感傷的な思いが先行している。
そして絵を見た人には余韻のような気持ちの揺れが残っている。
スティーブ・ジョブズもザッカーバーグも性格が悪く自分勝手に結論を決めて常識をブレイクスルーしていく力強さがある。
思い入れが先行している。
アラン・チューリングは暗号を解読する能力があるのに、なぜか人の心が読めない!どういうことなんだろう?
「大きく揺れて不安定な心は読めないのか?」
「スティーブ・ジョブズやザッカーバーグのように、人の心とはシンクロしないのか?」
「単独行動をするDNAなのか?」
YESとNOがハッキリしてブレない欧米人と、揺れて人の心を読む日本人の[違い]に注目すると面白いのかも知れない。
英語はYESかNOを確定して結論を言って、次にその説明をしている。
英語は文法的にもブレない。
その点日本語は最後の最後でひっくり返ることもあるブレる言語で、揺れる人の気持ちを伝えている。
[いわさきちひろ]の絵を見てると、日本人の気持ちは揺れる。
2020年から大学入試が記述式に変わると「分からない?」という不安感や迷っている様子に意外と説得力があって、模範解答を即答しても心を打たれることはなく、評価のされ方は一変しそうな気がする。
日本人は揺れる気持ちで、何度も何度も推敲を重ねて俳句を詠んでいる。
日本人は揺れる気持ちで考えているので、時間をかけることで考えは熟成していく。
