日本人は相対的な概念で考え、欧米人は絶対的な概念で考えているのかも知れない。
それは日本人はアナログ(レコードのような連続信号)で考え、欧米人は常にYESかNOに分けるデジタル(不連続信号)で考えているのかも知れない。
人は「どういうことなんだ?」と行き詰ったり、非科学な漫画やおとぎ話を楽しんだり、感情が大きくブレている。
日本人は[一対]のものがそろって、その間を揺れている。
日本画には余白が多く、光悦の茶碗は未完成で、その先は鑑賞する人に丸投げして終結させる気はない。
[いわさきちひろ]の絵を見てると、いつまでも気持ちは揺れる。
未成熟な子供を見てると「自分で育てたい!」どこか日本的なものを感じる。
日本人を理解するためのキーワードは[未完成]かも知れない。
そして[揺れる心]かも知れない。
同情心は、他人の落ち込んだ気持ちに共感している。
そして自分まで落ち込んで、日本人を弱くしている。
そんな「どうすればいいんだ?」という不安感に沈んでいると、ありふれた言葉がヒントに思えてくる。というよりも溺れる者はわらをもつかむで、元々大した意味のないものに都合よく意味を付け加えてヒントに仕立て上げている!
イチローは少年時代バッティングセンターに通っていたという話から、あの腕のあるピッチングマシーンから、あの振り子打法は生まれた。
どうしても打つポイントを一瞬でタイミングを合わせて、一瞬でフルスイングするには限界があるけど、イチローは「2の~3」という幅でタイミングを合わせて「2の~3」のリズムで弾みをつけて限界を超えている。
そんな、どうでもいいような知識でも、話を都合よく膨らませれば、話はつながっていく。
ヒントといっても、それは元々大した意味のない[ありふれた言葉]で、そこから話を膨らませたに過ぎない。
大学入試が記述式に変わると、そんな知識に付加価値をつけると評価してもらえるのかも知れない。
どうでも良いような知識がヒントになっていく!そんな話を書くことになるのかも知れない。
日本人は話している時に、フッと[ひらめく]ことがよくある。
英語は論理的な言語で、意味を確定してブレがなく、話している時フッと[ひらめく]ことはないのかも知れない。
その点、日本語は情緒的な言語で、思いは俳句のように膨らんでいく。
情緒的で益々気持ちは揺れてしまう。
日本語はブレの大きい言語で、日本語で話してると気持ちは揺れて!弾みがついて、フッと[ひらめく]ことが多い。
「分からない?」と重く沈んだ気持ちでいると、溺れるものはワラをもつかむ!そして苦し紛れに、知ってる知識を膨らませていると意外や意外!ヒントになっていく。
そんな[ひらめき]が体験できると楽しくなってくる。
「分からない!」と重苦しければ重苦しい程、気付いた時の達成感は大きい。
そんな[ひらめき]を、空気を読む日本人は一瞬の変化として感じる。
「分からない?」と落ち込んだり。
「なるほど!」と高揚感を感じたり。
日本語は俳句のように簡単な表現でも感情は伝わっていく。
日本人を象徴するキーワードは[揺れる心]かもしれない。