宮台真司 4 | エイジのブログ

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TBSラジオで宮台真司の話を聞いてると[○○]という専門用語の羅列が気になる。

何か小説のあらすじだけを聞いているような気がする。



ある陶芸家が「光悦の茶碗は動いている!」と言っていた。

「なるほど!」

光悦の茶碗は、形はあるけど形ではなく自由に解釈させている。

「何かが壊れて、茶碗の感想をうまく表現できない。」

それは、茶碗の解釈に正解はなく!答えではなく、茶碗は光悦の美意識のフィルター越しに見れる!光悦の美意識が体験できることに価値があるのかも知れない。


教科書は過去の古い科学ではあっても、人にヒントや知恵を与えて新しく生まれ変わっている。

答えではあっても、終了はしていない。

「教科書は動いている!」

「教科書は、人に知恵を与えて、人はそんなフィルター越しに見始める。」


羊は、仲間の動き始めると必ずついていく。

日本人は、周囲の動きに流されやすい。

日本人は、他人の意見に感化されやすく、人のひらめきに反応して同じ様にひらめく!

日本人は他人に影響されやすく、いつも他人の感性のフィルター越しに見て、自分の意見がない!

しかし、日本人の美意識は、光悦の美意識のフィルターを透すことで美意識を高めている。


日本語は、あいまいで倫理的ではなく、そんな日本語で考える日本人は科学的な理系の理解能力ではなく、話を膨らませて物語を創る文系の作家に近いのかも知れない。


YESかNOをハッキリ自己主張するドライな欧米人ならともかく、文系の日本人の学習能力は、感傷的に気持ちは膨らんでいく。


光悦の茶碗を見て、空想が広がれば広がるほど、その気持ちを言葉で説明するのが難しくなってしまう。

既成概念が壊れると答えも壊れて、分からなくなってしまう。

そんな大きくなった余白を、自分の言葉で説明しようして四苦八苦している様子から、生徒の学習能力を感じることができるはず。

それは答えではなく!

その前段階の、分からない度合が大きければ大きいほど生徒の問題提起能力が見えてくる。


そんな生徒に対して、模範解答しか評価しないテストでは革新的な理解力は見えてこない。


宮台真司の[○○]という専門用語を羅列した話が気になる。

まるで教科書という目次だけで納得しているみたい!


もしも光悦の美意識のフィルターを透すことで美意識が活性化して、空想が広がれば広がるほど、それを言葉で表現することが難しくなってしまう。

教科書からヒントや知恵を得ることで新しく生まれ変わっていく。

「教科書は動いている。」

益々正解が見えない!それが空想を科学している姿かも知れない。