「長島茂雄は数学だ!」
長島茂雄の言動を理解しようとすること自体無駄な努力で、あの性格は理解するものではなく、プラス思考やイメージ力に乗って!飛び込んで!
打席ではヒットを打つ自分をイメージして、そして守っている時はファインプレイをする自分をイメージして、自分も長島茂雄になりきることが長島茂雄利用法で、数学でも同じことが言えそう。
不思議の国のアリスの世界は面白くて子供達の空想を膨らませている。
しかしルイスキャロルは数学者でもある。
しかし、あのナンセンスな物語と正確さが必要な数学者としての資質が一致しない。
あの物語は、破壊的な空想力があって、架空の実在しない一つ一つのキャラクターにも作家のイメージ力を感じることができる。
あのナンセンスな物語を理解しようとすることは無意味!
しかし、そこには読者を空想の世界に引き込む引力と確かなイメージ力があって、子供達はその中に吸い込まれて空想力やイメージ力のスイッチが入っている。
ルイスキャロルには、常識を飛び出していく破壊的な空想力と、一つ一つのキャラクターに確かなイメージ力があって、そんなところに数学者としての架空の世界のイメージ力という資質を感じることができる。
そんな数学者のイメージ力に乗って、深い理解ができる。
感傷的な日本人や日本語は、その時の気持ちを伝え合って会話している。
そこに可能性がある。
英語は規格品でその規格で会話しなければいけない。
規格品の英語で不安定に揺れる気持ちを伝えることには限界がある。
それに比べて日本人は、広がっていく空想や一瞬のひらめきのような高揚感に共振しながら会話をしている。
その点「あいまい」でフリーサイズの日本語は、ゆれる気持ちを伝えることができて好都合!
学者の最初の一歩は空想から始まっている。
常識に囚われない不思議の国を空想している。
そんな破壊的な空想を理解しようと努力することは無意味で、そうではなく体験して利用する!
長島茂雄の言動を理解しようとすること自体無駄な努力で、あの性格は理解するものではなく、プラス思考やイメージ力に乗って!飛び込んで!
プラス思考やイメージ力を利用することで役に立つ。
「長島茂雄は数学だ!」
「数学は長島茂雄だ!」