フランスの秋が映し出される。何故が日本の秋を感じる🍁大女優ファビエンス。彼女の自伝の出版で一家が集まる。母と大女優の二つの顔。伝記「真実」🎬映画には詩が必要よ。娘のリュミールが伝記を読む。「全部でたらめしゃない」「私は女優なの、本当の話なんてしない」
サラという女優の存在。その存在は最後まではっきりとしない。想像を誘う。マノンはサラの再来。ハスキーなマノン。マノンの存在が眩しい。ファビはマノンにサラを見出す。圧倒的なマノンの演技。Гサラは動物的でもっと自由だった」二人ともマノンにサラを見たようだ…🎬
サラが好きだった洋服。ピエール(亀)も帰ってきた。脚本の中に大人のユーモアがある。俳優への皮肉もある。「演技は物まねじゃない。大切なのは役者の個性よ、存在感よ」是枝の脚本は自由だ。サラは海で事故死したようだ。「日常なんてどうだっていいの」役が掴めないファビエンス。マノンに押されている。もう新しい事なんて起こらない。何かが閃く🎬「ずっと孤独だった」真実の言葉。秋が散ってゆく。秀逸な脚本が続く。優しさがある。瞬間がある。折り紙がある🎬逃げずにマノンとサラが戦う。リミックが居なくなって親子の時間。時間が再生されてゆく。真実を語りだす。「私もオズを見に行った」「へただった」「サラに奪われたくなかった」「ママの娘で幸せだった」親と子の再生の時間🎬孫がリミユールの脚本を演じる。「おばあちゃんには宇宙船に乗っててほしいな」「私が女優になったとこ、見てほしいから」ーつーつの言葉が生きている。秀逸なセリフ、秀逸なストーリー🎬「どう信じた?」「うん」「でしょ」「ねえ、これって真実?」フランス映画にして邦画🎬エクセレントな映画だ☆☆☆☆☆