前回書いた記事の大晦日の夕方からする「年取り」の行事は、つまり古い時代に、一日の始まりは日没から、という考えがあったことで、大晦日の日没からは正月で、年齢を数えるのに昔は誕生日で数えるのではなく元旦に年を一つ取ったことから、大晦日の夕暮れ=元旦で「年取り」ということなんだろうなあ。

 

ところで、遥か昔のことで、記憶があやふやなのだけど、北海道の函館で「年取り」の時に出てきた我が家のおせち料理は、前回「煮しめ」と書いたけれど「うま煮」と呼んでいたかもしれない。

材料は里芋、人参、椎茸、凍み豆腐(高野豆腐のこと)コンニャク+レンコン(入っていたかあやふやだが)で、一般に「煮しめ」と言われているのと同じである。

 

次に欠かされないのが「黒豆の煮豆」「紅白なます」

あと必ずのように出たのが「飯寿司(いずし)」

これは鮭やハタハタやニシンやほっけ、カレイなどのお魚を米麹と野菜で漬けたものだ。これは発酵食品で魚だから苦手な人がいるけれど私は大好きだ。

「茶碗蒸し」も必ずあって、子供たちは大好きなので2個ずつ貰った。具の中には栗の甘露煮が1個ガツンと入っていて、その周囲全体が甘くて、それが当時は嬉しくて美味しいと思った。

「子和え」もあったなあ。あれは好きだった。

たらこ(普通のスケソウダラの子ではなく一腹が結構大きなまだらの子だと思う)をバラバラにほぐして、つきコンニャク(寒天をついて夏に食べる時に使う道具でコンニャクをついて細長い形にしたもの。糸コンニャクよりは存在感がる)とで砂糖と醤油とだしで煮る。子だくさんということで子孫繁栄の意味でおせちに登場したんだと思う。数の子より手軽で身近な料理で、おせちだけではなく普通の日にも食卓に登場した。

必ずだったか、正月の食卓で登場していただけか定かではないが、「昆布巻き」と「刺身」と鮭のような「焼き魚」「筋子」。

あと、しっかり覚えているのは小学生のころまで出てきた「クジラ汁」鯨の身を細く切って野菜と似た汁。

実はこれが臭みがあってまずくて、私は一口だけ食べて、毎回絶対残した。とても大きな鍋で煮て作るのに子供たちには不評で、中学に上がる頃には「アレはやめよう」と祖母と母で話してやめたことを覚えている。しかし函館周辺の地域では必須のおせち料理だったらしい。

 

ほかに2の膳とまではいかない何かの上に、みつ豆とかデザート的な物が載っていた。

 

私は中学頃から里芋の皮むきとか簡単な手伝いをし、高校時代には茶碗蒸しなどはほぼ私が作った(ここ何十年も作っていないけれど)

 

#お正月 #おせち料理