日が変わってのUPですm(__)m

よく食べるおやつは?

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2年前に購入した4g入り寒天パウダーが1袋残っていて気になってしかたないのでミルク寒天を作ったところ、参考にしたレシピでは甘さがほんの少し足りませんでした。

そうなると人は不思議な物で、リベンジしたくなるものです。

改めて寒天パウダーを買いに行ったらそのお店には10袋入りの「お徳用」しか置いていなくて、もう酷暑の夏で他の店まで行く元気もなくそのお徳用を買いました。

買った限りは作らねば、ということで、寒天のおやつを作るのがマイブーム(笑)

容器は市販のゼリーの再利用。

分量覚書:牛乳400㏄、水200㏄、砂糖60g、粉寒天4g

     蜜柑シロップ漬け。

もう何度も作りました。ミルク寒天大好きラブラブ

 

水羊羹も作りました。

容器の上の方は豆腐の容器(笑)。

下の容器は蜜柑のシロップ漬け60gが入っている容器の再利用。ゼリーの容器より小さい。

あんこは御座候のつぶあん使用。

 

初めて水羊羹作りましたが、美味しくできました。

分量覚書:粒あん200g、水230㏄、砂糖10g、粉寒天2g

     塩少々

御座候の粒あんは360g入ってるんだけど、トーストに塗ってだいぶ食べたんで(笑)残った量で余所のレシピを参考にほかの材料の割合を計算して(お水はほんの少し増やして)作ったのです。夫は少し甘いと言ってましたが私はちょうどよかったです。かたさの加減もお水ほんの少し増やした分柔らかくというか水羊羹ぽく美味しかったです。

 

寒天とは全く違うのですが、最後に、先日、東京でお土産に頂いたクッキーがと~~っても美味しかったおねがいラブラブラブラブんで、ご紹介させていただきますね。

「ツッカベッカライ カヤヌマ」というお店のテーベッカライ。

すごい人気でなかなか入手できないもののようで、くちどけもよく、缶をあけたらぎっしり詰まってると思ったのに、あっという間に食べちゃいましたよ。

今まで食べたクッキーの中で今これが私の順位では一番上にあります。仰々しくあれこれもらったと書くな、と、頂いたすーさんに言われて今まで書かなかったけど、おやつの話だし書きました。他にも貰ったけど、仰々しく書いたらアカンというので、これだけUPさせていただきました。

ありがとうチュー

 

 

 

 

 

 

夫の話である。

 

今は昔、結婚した時に、夫の母から「ユウコさんにバトンタッチする物がある」と何やら風呂敷包みをもらった。

元は誰かの結婚披露宴の引き出物を包んでいたと思われる朱色と白のめでたそうな(一回包んでお終いの化繊の)風呂敷包みだった。

 

自宅に帰って広げて見たら夫の小学時代の作文や絵日記や成績表だった。高校時代や大学の頃のまであったかもしれない。

なんじゃい驚き

当惑した。

私の実家では、台所のシンクの下にインスタントコーヒーの大きな空き瓶は何十個も置いていて、私が帰省した時にゴミの日に半分捨てても、次の日に見たら知らん間に「もったいない」と拾ってきたのか元通りになっている(激怒したよ。あんな空き瓶10個もあれば充分やろ、10個でも多いわ)ということはあったのだけれど、この種の物は絶対時間が経ったら捨てている、私ら3姉弟の成績表やら絵日記など取っているなんて見たことも聞いたこともない。

オカンは夫のことがかわいかったんやろうなあ。

それでも、私は要らんよ。パトンタッチと言われて押し付けられても邪魔じゃん。

 

とりあえず一番上の原稿用紙に書いてあるタイトルを見たら「ぼくは神経痛だ」とあったニヤニヤ

 

─ぼくは神経痛だ。みんながそう言う。ぼくもそう思う─

冒頭がそれで、その続きの文章は覚えていないが、日常の細々とした話が書かれていて、だからみんなの言う通り自分は神経痛なのだろう、と締めくくっていた。

笑ったニヒヒニヒヒ

私はその日、夫にその作文を読み聞かせて二人で笑った。神経痛は漢字ではなくひらがなだったかもしれない。小学生でも低学年の頃の作文で「神経質」を「神経痛」と間違えて書いているのだ。神経質な自分のことを客観的にまじめに書いて分析しているだけに間違いのギャップがかえって子供らしくて面白かった。

 

結婚した始め、付き合っていた時には見せなかったメンドクサイところが夫にはたくさんあって、難儀なやっちゃなあとうんざりした。

そのうちの一つが神経質なところだった。神経質というか部分的に潔癖症に近かったかもしれない。

私は大雑把で潔癖症とは正反対だったからw

覚えているのは食器棚から出した小皿に鰹節の糸のように細いものが載っていいて、あきらかに削り節なんだから、私はそれをポイっとゴミ箱に手で払って落としたんだけど、夫は「皿を洗ってくれ」とノタマッテ、おまけに「食器は使う前にもう一度洗って欲しい」なんぞとアホなことまで言いよったのだ。

は~~~???

ざけんなよ(当時は「ふざけんなよ」とがついた)

どこの家が皿洗いを食べた後と食べる前の2回するねん。

 

というようなことでの夫婦げんかを(私の言葉はこんなに悪くはなかったし大阪弁でもなかったけど)よくした。新婚の方がよくけんかしたなあ。1年はいつ別れてもおかしくない様な感じだった。

(しかし、あの小皿になんで削り節が付いてたんやろ、あははは)

ところが大雑把できれい好きとは程遠く、むしろ片づけられない症候群の私と暮らしていくうちに、いつの間にか夫は諦めたのか慣れたのか神経質な部分が無くなった。

むしろ最近は夫が洗った皿に洗い残しがあるのでもう一度私が洗うと「洗い残しがあったというのか」と私がいちゃもんを付けているように受け取り、不満そうにするやら縮こまっているので、気づかないように洗い直している。

(これも結構神経使う、笑)

 

そうして長い年月一緒に、華麗に加齢(この頃しつこいw)を重ねてきた私ら夫婦なのだが、共にあちこち身体が痛い(笑)

治まったかと思うとモグラたたきのように次々と痛いところが出る。

この前、TVを見ていたら夏休みの子供の宿題の話が出ていたので、そういえばと、オカンからバトンタッチされた絵日記や作文のことを話していたら、夫は、

「ぼくは神経痛だ。ほんまの神経痛だ」

と突然言い出したので二人で笑った。

 

それで思い出してオカンから貰った風呂敷包をちょっと探してみたけれど見つからなかった。捨てたのかな。

まだあるかもしれないが、なにしろ片づけられない症候群で年がら年中探し物をしている私だから、違う物を探している時にふいに出てくるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久し振りの東京、関西では味わえない東京の味を楽しみ、なかなか会えない人と行きたかった場所を訪ねようと思い立った東京5泊6日の旅。

新しい思い出が出来て、満足、満腹の旅でした。

 

ただ、この10年で行きたくても叶わなくなってしまった所ができたのも現実でした。

 

20年前から10年ほど毎年会議で使わせていただいた学士会館は老朽化が進み、無くなりました。

 

また、その会議の後の打ち上げで何度も使わせていただいたお茶の水の「ビストロ備前」は諸事情が重なって、2021年に閉店していました。

フレンチのいいお店でした。全ての器が備前焼で、コースメニューも何種類ものお料理のなかから2つか3つチョイスできて、それがどれも高級食材を使っている物だから、ふだん滅多に口にできない、中には食べたこともないものがあったりして、選ぶだけでもわくわくしたお店でした。

自分のためにそのお店を使ったのではなく、私が代表で主催していた某コンテストの最終選考会の選考を務めてくださった先生をねぎらうためのお食事会でしたが、美味しくてコストパフォーマンスも高かったので、何度も使ったのです。

 

今は亡くなられたT先生が、メニューを眺めながら子供のように何を選ぼうかと毎回嬉しそうにされて、なかなか決まらず「何にしよう、一番高いの、高いの」とか言われた姿が目に浮かびます。

「いや、先生、どれ選んでも同じお値段やから」

と私が言うと、

「うん、それは分かっているけど、一番高い(コストパフォーマンスの)ヤツにしたい」

と普段は論客で、時にちょっと近寄りがたいところもあったのですが、ここでは本当にかわいらしい姿を見せてくださったのです。

フォアグラ丼を日本で最初に出したお店でもありました。アワビとか伊勢エビとかがチョイスできるお料理の素材にあるので、先生だけではなく同席したみんなが楽しく迷いました。

石坂浩二さんもお気に入りのお店だという噂で、石坂浩二さんの絵も飾られていました。こじんまりした良いお店で、東京在住で仕事で協力してくれた友人が「私、心が折れることがあったら、ここへランチ食べに来るわ」と言ったことも記憶に残っています。

今回東京へ行く前に、亡くなったT先生を偲んで誰かを誘ってランチでも食べようかとネットで調べたら閉店になっていました。

 

T先生との思い出のお店は、他に神保町の「咸亨酒店(かんきょうしゅてん)」という紹興酒とお粥で有名な中華料理の店もそうで、先生がおススメということで何度か行きました。

中国の作家・魯迅が愛した「咸亨酒店」の名前をそのまま借りたお店で、コースメニューにお粥も入っていて、上海ガニも追加でもらったりしました。

(豆腐を発酵させたものをのせて食べるお粥、おいしかったなあ)

T先生は中華料理がお好きだったと思います。雰囲気が庶民的でお値段もリーズナブルで美味しいお店でしたが、そこも調べたら神保町には(姉妹店はあるようでしたが)もうありませんでした。

 

10年の歳月がそこにあり、しかも未曽有のコロナ禍も挟まれているので、閉店の事情はよく分かりませんが、仕方がないのかもしれません。

T先生の思い出とともに、私の胸の中にだけ残っている場所になってしまいました。

 

最後に、先日、大阪で交通系カードをしっかり押さなかったので、入場確認が出来てなくて、改札から出られなくて困ったことがあったという話を書きましたが、今回、東京へ行って感心したことがありますので書きます。

東京の電車の改札のカードをピッとタッチするところには「しっかりタッチ」という言葉が書かれているんです。すごいな、と目を見張りました。

(えらいね。ここまでしっかり書いてくれてたら、私のようなお上りさんでもトラベル中のトラブル減るね)

 

これにて東京の旅行記は終了です。

 

 

 

 

東京5泊6日の旅の最終日。

昨日の夜から約束はまったく入れていなくて、電話してみようかと思う友はいるにはいたのだけれど、5日目の夜、疲労が蓄積した(毎日喋りまくりすぎた)ため、最終日をまったくフリーにした。

実は帰る日は、ギリギリまで東京を楽しもうと思っていたので飛行機は18時の便にしていた。

なのでホテルのチェックアウトを1時間延長(+1,100円)して、ゆっくり11時に出てからも東京で7時間うろつかねばならなかった。

(もっとも、一人でうろつくのもいいなと思っていた)

 

その7時間、どうしようかと考えをめぐらせた結果、私はホテルを出てから真っ先に日本橋高島屋へ向かった。

ほら、私、江戸前の鰻をまだ食べてませんやんかw

すーさんのおススメの上野の老舗も興味あったけど、迷うのも心配だったし、並んで待つ時間も気になったので、前に感激した日本橋高島屋の特別食堂の五代目野田岩の鰻重を食べることに決めたのだ。特別食堂は待つにしても別にお部屋があるし、時間が相当かかる場合はデパート内をウインドウショッピングして潰せることもできる。なによりあたかもホテルのような雰囲気で客(華麗で加齢な客が多い)をもてなしてくれる。

 

到着したのは12時少し前、少し待ったけれど、思ったより早く席に着けた。私は朝からヨーグルトと野菜ジュースしか口にしていない、食べる気満々である。

日本橋高島屋の特別食堂は洋の「帝国ホテル」和の「大和屋三玄」に鰻の「五代目野田岩」のメニューから好き勝手あれこれチョイスできるという、大昔のデパートの食堂の超高級版である。

私はメニューの中の野田岩のページをめくり、「鰻重・梅」を選んだ。6,500円ちょいだった。5千円弱の「蘭」というのもあったが1尾ではなかったので、ここまできたなら鰻1尾頂こうじゃないの、ねえ。

美味しかったよ。

(たれがすこし足りない気がしたなあ。言おうか悩んだけどそのまま食べた。山椒は付けてくれたんだけどね、鰻のたれは言わないと付けないのかなあ。鰻屋さんならテーブルに置いてるんだけどね。しいて言えばそれだけが物足りなかったんだ。でもやっぱり江戸前の鰻はふわ~~っとしててたれも甘くなくて、江戸前らしい鰻だった)

上の右手に見える白くて丸いものは大根おろしを丸くして出汁の中に入れた「箸休め」さっぱりしてそれも途中の。口直しに良かった。

 

左隣のテーブルはお爺さんの4人グループで、中の一人は大阪から来た方のようで大阪の話をしていた。80歳凸凹のどこかのご重役だった方たちのようだった。

私の右の方は、パーテーションが立てて区切っていたのだけれど(どうも1テーブルは空けていた感じがする)その向こうにもお爺さんたちがいて、政治の話をしていた。

耳が遠いのか、大声を出すのでw、全部聞こえるんやけどw

首相の批判をしていたなあ(笑)

メニューのお値段考えたら、華麗で加齢な(しつこいw私もやw)人が多くてあたりまえやな。

 

私はこのあと4階の千疋屋フルーツパーラーで、椅子に掛けて並んで、12日に大丸東京店では夕方だったので売り切れて食べられなかった「プリンアラモード」を食べた。

(千疋屋のメニューのページから写真お借りしました)

少し食べてから写真撮る事を思い出したんだけど、ちょっとでも食べた写真はなんか汚らしいやん。

 

でも、私ときたら、それさえ忘れて、写真撮ったかと探したんだね、そしたら12日に大丸東京店で食べたミニパフェの写真が出ていたので、ついでに遅ればせながら、せっかくなので(見たくないかも知らんけど写真有ったから)UP。

同じ千疋屋なのだけれど、系列が分かれていて、日本橋高島屋に入っている千疋屋(上のプリンアラモード)は日本橋千疋屋総本店の系列。

大丸東京店3Fの千疋屋は(下のミニパフェの写真)は京橋千疋屋の系列店。

お中元やお歳暮の千疋屋のゼリーなども取り扱っているデパートで違う。自分ではわざわざ贈答用に出しているような高級なゼリーを買ってまで食べないけどよく贈る。

私はどうも千疋屋のファンなんやなあ。

東京へ来たら、千疋屋パーラーでフルーツたっぷりのデザートを食べるのが楽しみで。

ということで、どういうことでしょう(どういうことでもないわ)、あっという間にこの鰻とプリンアラモードで、渋沢栄一さんが1枚無くなっちゃった滝汗

 

それから、蒲田経由で羽田空港へ行き、JALで大阪へやっと戻ったのだった。

戻った伊丹空港では、保安検査をすませて搭乗するまでの場所が最近商業施設のようになって、ショップの他にカフェも食事をする店も色々あって、真ん中スペースはきれいなフードコートにもなっているので、到着した午後7時に、到着口に行く前にそこへ行き、美々卯できつねうどんを頼んで食べて、

「あ~~、大阪に帰った、大阪はやっぱうどんやなあ」

と、ゴールドラッシュで俄か金満家になった私の5泊6日の東京の旅を締めくくったのだった。

 

ちなみに、伊丹空港の保安検査後のスペースは、りくろーおじさんのお店やラーメンの神座や本格的なお寿司をカウンターで食べさせてくれるお店やカフェやバーや、もうもう魅力的なお店がたくさん並んでいる。

 

私はどんだけ食べて、どんだけ喋ったのか。

口だけが忙しく動いた日々だった。

後悔はない。

会って、お付き合いくださった皆様、まことにありがとうございましたm(__)m

 

 

 

 

 

 

 

大昔、私が札幌で喋り屋稼業をしていた時、「池上線」という曲がヒットした。派手に流行ったのではなく、じわ~っと長い時間世の中に流れて、売れた。歌っていたのは西島三重子だった。

私もその当時担当していた番組で何度か流した。

紹介する度、東京の私鉄だというその線はどんなところを走るのか、行ってみたいと心のどこかで思っていた。

ただ、どうしても行きたかったわけではなかったので、今まで♪東京へはもう何度も行きましたね(同じころに流行ったマイ・ペースの「東京」のフレーズね)の私だけれど、わざわざ足を向けることまではしなかった。ただ何かで「池上線」という文字を見るたびに、ちょっとやり残したことがあるような気持ちになった。

 

数年前に仕事で交流が出来た方が、本業は他にあるのだけれど池上線沿線の駅のそばで、土日のみ予約制のカフェを営業していた。カフェというより文化サロンのような素敵な場所になっている。

私は知り合ってすぐそのカフェに興味を持ったのだが、その惹かれたなかに池上線の沿線にあるというのもあった。

そんなことで、私は今回東京へ行くのだから、一度池上線の電車に揺られながらそのカフェを訪ねて、長年胸の隅に残していた宿題のようなものもクリアしたいと思った。

 

土日しか営業しないお店なので、日曜日に一人で訪ねてみようと考えていたのだが、別件で、今回東京でぜひ会いたいと思っていたYさんと再会するにあたって、時間と場所をどうしようかとメールでやり取りしている時に、日曜日のお昼はそのカフェに行くつもりだとお店の説明したら、Yさんも興味をもたれ「よければ同行したい」ということで、Yさんと二人でランチを食べることになった。

 

カフェはご夫婦でやっていて、私が親しくしているのは「婦」の方のN・Mさんで(百周年記念祝賀会に同行者として参加していただいた)、ランチのコースを予約したのだが、いつもながら食い気が先に走って、写真が無いw

食い気だけではなく、Yさんとの積もり積もった、そのわりにはしょうもない、でもゲッソリゲッソリポーンポーン滝汗滝汗ニヒヒニヒヒ、というような裏話で、喋るや食べるやで写真を撮る暇など無かった。

やっと撮った写真がデザート。

このバラの花びらのようにおリンゴを細工するのが素敵でしょ。

このカフェのsnsの写真で前から一度食べてみたくて、その話をしたらMさんが応えて出してくださった。

 

再会したYさんはメディアの人で、20年ほど前、彼女が大阪本社にいた時に知り合って、その後東京本社に異動してからも年賀状のやり取りを続けていて、もともと大阪出身で気さくな人柄のせいか、なんだかぶっちゃけた話ができ、尊敬できるので、ひさしぶりにゆっくり話をしたいと声をかけた。

 

若い時からなかなかに、物事を見抜く力のある人だった。

何の話からか、ある時私は

「生まれ育った北海道ではちょっと浮いてた存在だったけれど、大阪にきたらぜんぜん普通に沈んでいて生きるのが楽だ」という話をしたら、

「ユウコさんは大阪でもけっして沈んでいません。むしろ大阪でもけっこう浮いています。ただ大阪は許容範囲がとても広いから」ニヤニヤ

と言われたことがあった。

ずばっと笑いながら言う(ちょっとお酒が入っていた)。

まったくもってほんまや、たしかに大阪でも浮いとるか。

でも大阪という土地柄が浮いてても沈んでても歪んでてもズレてても、まあええやん変な奴おもろいで、というような許容範囲が他府県より広いのかもしれない、うまいことを言う、と悟りの境地にいたった私である。

その後、彼女は東京本社へ異動し、一度大阪本社へ部長になって来られたけれどちょうどコロナ禍で、ゆっくり飲んで話が出来たら楽しいだろうと思いながらも叶わず、なんだかあっという間にまた東京へ帰ったという、なので何年ぶりかで二人だけで話ができる貴重で楽しい時間が実現出来たのだ。好みの合うカフェで。

 

カフェの雰囲気も、手間をかけて心のこもった食事も、Yさんとの今だから言えるぶっちゃけた話も全部がよかった合格合格

 

3時前にカフェを出て、私とYさんは池上線で五反田まで行って別れた。池上線を走る電車は当然ながら50年前の歌詞のように古くて隙間風のある電車ではなく、街並みも(しらんけど当然)まるで違うだろうと思いながら、電車に揺られて景色を眺めた(喋りながらw)。

 

あの歌は、男女の別れの歌だ。別れがたく思いが残っている主人公の女が離れていく男との最後の時を情感こめて綴った歌詞と曲だ。

そういえば、そんな別れの歌なのに、私は昔「ゴールデンウイークにどこにも行けなかったアナタと私のために」とか言って数曲かけた曲の一つだという記憶がある。

何を考えていたんだ私、池上線の電車で旅行気分を味わえとでも思ったのか、あほやな。

(おぼえている他の曲は西岡たかしの「上野町(うえのまち)」とダ・カーポの「宗谷岬」あと1曲なんかかけたなあ。「上野町」は軽快な曲で伊賀上野駅まで行く伊賀鉄道のチンチン電車の駅名が次々歌われていて好きだった。それに対して私は東京の池上線を出したのだろうか。なにもかも遠い昔の事でもうわからん)

 

その日、五反田からの帰りに、また甘い玉子焼きが欲しくて松露のお弁当を買って、夕飯はホテルで食べた。

5日目と帰る6日目に、他にも会いたい人がいたのだけれど、自分の体調をみてと思い、声をかけずにいた。さすがに疲労もたまってきたので、この日の夜はおとなしくホテルで過ごし、私は早めに寝た。