平等と差別 | 仕事道を極める

仕事道を極める

多くの人が、多くの時間を費やすのが仕事。単なる作業ではなく、極めたい道として仕事をとらえていきたい。

この世の中でなぜ差別があるのか?

 

そして、その差別はなぜ無くならないのか?

 

いくら差別はいけない、平等が良いといっても、解決するはずはないと考える。

 

なぜなら、僕たちは鏡に映っている仮の姿を現実としてとらえ、差別だ平等だと騒いでいるだけだから。

 

仮の姿を現実の姿だとつい認識してしまっているから。

 

片方を無くし、あるいは排除すれば問題は解決するものではない。

 

そして、これは理屈をこねくり回して解決できるような問題でもない。

 

なぜ、差別は平等に依り、平等は差別に依り相互に存在しているのか?を考えなければならない。

 

少し視点を変えて考えてみる。

 

なぜ、このような仮の姿が善悪問わず実在という鏡に映るのか?

 

仮の姿を通して鏡は何を伝えようとしているのか?

 

平等と差別という対立を昇華させると何になるのか?

 

それは、涙であり、情でもある。

 

差別はダメだと言っている本人の中にも差別心がある。

 

同時に差別をしている本人の中にも平等を欲する心がある。

 

お互いに声高に主張し合っているだけでは対立は昇華せず、解決にはいたらない。

 

理屈や感情論では解消できないようになっている。

 

つらく、苦しい思いからあふれる涙が、本来の人間の心のあり様を映し出してくれる。

 

涙や情は、言葉にならない。

 

また、言葉にしなくてもいい。

 

本当に大切なことは、言葉にはできない。

 

言葉にする必要もない。