絶対肯定の世界 | 仕事道を極める

仕事道を極める

多くの人が、多くの時間を費やすのが仕事。単なる作業ではなく、極めたい道として仕事をとらえていきたい。

夜中にふと考えた。

 

命が今宵で尽きるとしたら、今までの人生はどうだったのだろう?

 

(悪くない。)

 

素直にそう思えた。なぜだろう?

 

若い頃は、普通、平凡でない自分になりたかったように思う。

 

自己重要感の欠如によるのか?承認欲求のあらわれなのか?

 

特別な才覚などがあり、社会的に認められたいなんて気持ちがあったのかもしれない。

 

しかし、いつの頃からか(普通が良い。平凡が良い。)と思うようになっていた。

 

平凡に暮らす中でできた友達、お客さん、家族、仕事、日常。

 

そうしたことすべてが、自分にとって最善だと気づいた。

 

振り返ってみると、不思議なことに過去のつらく苦しかったことなどあまり思い出されない。

 

むしろ、愉快で楽しかった思い出ばかりが残っている。

 

そこには自分に縁のある仲間がいて、お客さんがいて、家族がいて、日常がある。

 

もしも自分がないものねだりで、平凡ではないナニモノかになろうと必死であったとしたら?

 

もっと良い家、もっと豪華な食事、もっと素晴らしい友人、もっと多くのお金などといった我欲を満たそうとしていたら、結構な地獄を見ていただろう。

 

平穏で静かな心で身の周りを見渡してみると、既に満たされていることに気づかされる。

 

そして、足元にある大切なことを大切にしていくことで、平凡な日常がかけがえのないものになる。

 

それは、世間のモノサシや外側から与えられた一般的な価値基準ではなく、内から湧いてくる自分の価値基準に素直に従うことを意味する。

 

内なる価値基準の何たるか?を知ることで自分独自の人生が開けていくように思う。

 

他人の人生を自分が歩めないように自分の人生を他人が歩むことはできない。

 

平凡で良い、普通で良いではない。

 

平凡が良く、普通が良いのだ。

 

自ずから笑顔になり、明るい気持ちになり、穏やかになれる日常は、既に満たされていることへの気づきからはじまる。

 

今が変われば、過去も変わる。

 

今の最善に気づけば、今までのすべてが最善となる。