思うと考えるの違い | 行政書士お~ちゃんの心学日記

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心を磨けば、食うに困らず

よくありがちなたとえ。

 

富士山に登りたいと思う。

 

でも、その思いが漠然としたものであれば、登ることはない。

 

思っているだけならば、登らない理由はいくらでもできてくるから。

 

仕事が忙しく、時間が取れない。

 

やっぱり大変そう。

 

疲れそうだし、怪我でもしたら大変だからやめておく。

 

時間がたつほど、やっぱり富士山に登るのが、面倒になってきた・・・。

 

僕は、そんな思うばかりをしてきて、考えることをしてこなかったように思う。

 

では、考えるとは何だろう?

 

具体的にいつなら登れるのか?

 

そして、装備は何を準備すればいいのか?

 

登山ルートは、どうするのか?

 

そして、大切なのが、富士山の頂上からの眺めは最高だろうな!という感情。

 

物事を考え、具体化すればするほど、その意識がエネルギーとなって飛んでいく。

 

意識を飛ばせば飛ばすほど、感情も高まっていくのではないか?

 

単に思うだけなのと、具体化して考えていくのと、次元が全く違うものになっていくように思う。

 

人は行動が何より大事だという。

 

でも、その前に意識がなければ、行動にはつながらない。

 

意識を高めていくには考えて、考えて、考えぬくことが大切ではないだろうか?

 

でも、ここで行動するべき、考えるべきというあるべき論、やるべき論では、力は発揮されにくい。

 

肩の力を抜いて、心を落ち着けた状態でなければ、良質な意識を飛ばせないのだから。

 

要は、自分が発する周波数を良好なものにしつづけること。

 

なぜか、興味のあること、

 

なぜか、やってみたいこと。

 

なぜか、面白そうと思えること。

 

人生を豊かにしてくれるものは、実はあちこちにあるように思う。

 

あ、また思ってしまった。

 

考えなきゃ(笑)