日和見主義と覗き見主義 | 仕事道を極める

仕事道を極める

多くの人が、多くの時間を費やすのが仕事。単なる作業ではなく、極めたい道として仕事をとらえていきたい。

人間には覗き見主義のようなところがあるから、政治家やら芸能人やらのスキャンダルが注目を浴びやすい。

 

でも、やはり、これはあまりいい趣味ではない。

 

なぜなら、暴露系のニュースは一時の好奇心を満たせども、気分を決して爽快にしてくれない。

 

一方で、こういうニュースは、清々しい気分にしてくれる。

 

長年住み、お世話になっている地域に恩を感じる気持ちが、尊いし素晴らしい。

 

 

清々しい気分にさせてくれるものと言えば、自分にとってはやはり読書。

 

どんなに落ち込んだ気分になっていたとしても、本を読むだけで思考も気分も変わる。

 

知性、感情、意思の知、情、意。

 

最近は、素晴らしい知力をつかった評論が、支持をされているように思う。

 

しかし、本当に大切なのは、知性でも意思でもなく、あくまで人間の情。

 

上記のニュースに戻るが、知や意を使った判断で寄付をしたわけでは決してない。

 

恩に感じ、やむにやまれない気持ちで寄付をしてくれたに違いない。

 

情は、時にものすごいエネルギーを生む。

 

なぜなら、そこには見返りを求めるような「取引」がないからだ。

 

それが発揮されれば、日和見主義ではいられない。

 

どうも最近は、仕事を「取引」と誤解する風潮が強いように感じる。

 

純粋に事に仕えることによってもたらされる信用の蓄積と連鎖。

 

それが、本来の取引の姿だと日々の仕事の中で感じている。

 

読書とは、知や意を磨くものであるかもしれない。

 

しかし、それは表面的なものに過ぎない。

 

本当は、人間の情に潜むエネルギーを発揮させてくれるものではないだろうか?

 

本当にそうだよねと奥底に潜む何か大切なことを思い出させてくれるものが、良書だと捉えている。