自分もバカだと心底思えない限り、本当の思いやりはできないと思う。
周りがバカだと思ってしまう自分が本当はバカなのだ。
実は、これ、幼稚園児の自分の子供もよく言っている(笑)
読書をしている人もしていない人も紙一重の差に他ならない。
オレオレ詐欺に引っかからないと思っていても、引っかかってしまえば己の愚かさを痛感する。
実はそのことが、本当に大切なことなのだと思う。
本当の読書の効用とは何か?
優れた心の資質をはぐくむことか?
先を見通せる先見性なのか?
あるいは、真実を見極める心眼を養うことか?
たしかにそうした面もあるだろう。
でも、僕は違うと考えている。
人は完全ではないということを心底理会することだ。
言い換えれば、情の本質を掴むことだ。
そのために負の経験があり、それゆえの読書にもなりうるのだと。
隣の人の憂いを敏感に感じとれる資質をいかに育めるのか?だと考えている。
ややもすると哲学的な思想や世の中への批評、批判といったものに言葉の矛先を向けがちだ。
しかし、同じ時代、同じ社会の中で生きている以上、最も大切なことはそこではない。
今が一番幸せ。
命を授かった人類である以上、そう思える瞬間を人は本当に願っているのではないだろうか?
であれば、他人の幸せを追求している時が、まさにそのことなのだと実感せざるを得ないのも現実なのではないだろうか?
自分が〇〇なんて思いがちな自分そのものが、本当はないともいえる。
自分のことを考えていない時が、一番の充実であり、幸せなのだと思う。
欲やプライドに引きずられれば、何が本当の幸せかがわからなくなる。