読書や勉強をすればするほど、難しいことを覚え、難解なことを考え、理会できるようになる・・・。
それは確かにそうなのかもしれないが、おバカちゃんの僕にはとてもじゃないができない芸当だ(笑)
もちろん、深く物事を考えることや哲学的なことを表現することも大切に違いない。
しかし、本当はもっと平凡で身近なことで、誰にでもわかる簡単なことの中に最も大切なことがあるような気がしてならない。
人として自分はどうなのだろうか?
最近、ふとそんなことをよく考えるようになった。これは心学の影響がかなり大きい。
あいさつは?
親孝行は?
家事の手伝いは?
奥さんや子どもに普段からどう接している?
なんだかとっつきにくい本を読むたびに、逆にこのような平凡なことが大事に思えてならなくなる。
不思議なものだ。
そうした基本が実はできていない自分を嫌でも認識してしまうし、それがために読書は大切なのだろうと思える。
自問自答のための読書となっているようだ。どうも。
国家や社会といったことを論じている本を読むことがある。
もちろんそうした天下国家を考えることも、大切なことに違いない。
反面、そのような思考を読書を通じてしているときに、ごくごく基本的な自分のあり方に思いが至ってしまうのだ。
天下国家を論じる前に・・・。
ゴミ出しをしよう。
布団をきちんとたたもう。
てな具合に(笑)
大きなことを考えるよりも、小さな実践の一つ一つ。
いやいや。
小さな実践を一つ一つ積み上げているからこそ、たとえ小さくとも天下国家のありように通じていくはずなのだ。
自分の意識、態度、行動が、その天下国家を構成している一つの要素であることには変わりはない。
大袈裟なことでは決してない。
自分の電車の中での態度も、自身の車の運転も、すべてはことごとく今の世の中に影響を与えていくわけだから。
自身の心のありようが、その根本をなしている。
周りはどうあれ、自分はどうなのか?そして、どうありたいのか?
そこを考えるほど、どうしても基本にいきついてしまう。