遺言や相続といった業務も行っているため、依頼人が亡くなられたという情報を耳にすることがある。
実は、つい最近も大変お世話になったご依頼人が、亡くなられた。
その依頼者とは、行政書士と依頼人という関係を超えてお付き合いをしていたつもりだった。
いつか、嫁と息子を連れて顔を出してみようとも考えていた。
しかし、いつかは、今やらなければ永久に来ないものなのだと思い知らされた。
もっとも、人間には、寿命があるのだから仕方がない。
しかし、もっともっと長生きしてもらいたかったのが本音だ。
出会いのきっかけは、業務の依頼であり、合理的でかつ自分にとって大切な経済活動の一環だった。
しかし、出会いとは、人を情で結びつけていくものだ。
合理的で、打算的に見える経済活動が、根底のところで人と人とのつながりを強くしていく面もある。
むしろ、人にとって最も大切なことを感じさせるものでなければ、本来の商行為、本来の経済活動ではないのかもしれない。
ファンをつくるとか、マーケティングがどうとか、ややもすると自己本位あるいは無味乾燥な言葉が、大切に思えてしまう風潮がある。
しかし、そうした考え方は、時として最も大切な何かが欠落した思考を生んでしまいかねない。
ファンづくりだの売るための戦術だのとそんなさもしい考えをもっていたら、この方の死をこれほど残念に思えなかったはずだ。
そもそも、依頼などされていないだろう。
僕は行政書士である前に一人の人間だ。
一人の人間としての感性を発露させることが、本来の仕事であるべきなのだ。
だからこそ、僕はもっと悲しみを背負っていきたいし、苦を深く感じられる人間になりたいと思っている。
人はどこかでつながっている。
そう感じさせる仕事をやり続けていきたい。