抑制とか我慢と言うとなんだかつらそうで印象が悪い。
ところが、夫婦や親子関係においては、これは不可欠だと思う。
言いたいことを言い合える関係。
本音で何事も言い合える関係。
そんな関係がいいという意見も聞く。
何の抑制もない人間関係は、よいわけがない。
逆に抑制だらけの我慢しっぱなしの人間関係もよいわけがない。
親しさとは開示性の度合いではなく、どれだけ尊重し合えるか?ということも聞く。
尊重とは、自分の意見、主張を横におくということだ。
自分の主義主張(というより、わがままか?)を通さないことだ。
抑制か?自由か?
どちらか?というよりもどちらもということなのだろう。
お互いに理解し合える関係がよいとされるが、異なる人間同士で本当に理会し尽すことは可能なのか?
理会できないところがあるから、感情的になることもあるし、裏を返せば気づきにもつながる。
では、理会し尽すことがそもそも無理であれば、理会し合おうとすることは無意味になるのか?
やはり、大切なことは、言葉にしにくい。
状況によってどちらもという曖昧さの中に大切なことがあると感じる。
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