独立した頃、人の紹介である団体へ入会した。
その理由は、仕事につながる人脈づくりのためだった。
ところが、その団体に所属してみると、時間もお金もかかる団体だった。
しかも、やることと言えば、地域への奉仕活動やら会議やらなにやらで一銭の得にもならないようなことばかりだった。
僕はいつやめてやろうか?ということしか考えていなかった。
僕は自分の仕事につなげるためにやっているのにまるで関係ないじゃないか。
騙されたと思っていた。
そんな苦の渦中にいたのだが、今振り返ってみるとあることに気づかされる。
その団体には、その団体の崇高な理念があり、そこに自分を合わせなければ仕事も人間関係もうまくいくわけないのだ。
自分の仕事につなげたいというエゴが、苦や愚痴、泣き言の根本原因だった。
ところが、人間は弱いもので自己防衛が巧妙だ。
組織への批判、文句という形でそれは表れる。
自分のエゴは自分では気づきにくいものなのだ。
しかし、そこに気づかせてくれるものが、苦の感情ではないか?と僕は考えている。
自分を無くして尽くした結果として人脈づくりや仕事にもつながってくるわけで、おいしい話が目の前に転がっているわけではない。
信頼のおける人間関係や本物の仕事は、滅私奉公で得られる結果なのだと僕は考えている。
もし、そこに苦の感情があるのであれば、それは何かが間違っているということを教えてくれるサインなのだろう。
苦は、一切歓喜の根源ということになる。