先日、会社のお金を横領したというニュースが流れていた。
よく見かけるニュースだ。
横領した人=悪
このような図式が、流されてくる情報によって単純に成り立っている。
しかし、よく見かける側の我々にも、このような悪が潜んでいないだろうか?
どのような背景があったのか?
このようなことを起こしてしまう事情、心の弱さはどのようなものなのか?
その奥にあるものを見極めようとすることが、「考える」ことだと僕は捉えている。
情報を単純に受け取り、善悪に分けるだけでは、それは考えているのではなく、単に流されることにならないだろうか?
単に結果として生じた数字を見て、物事の良し悪しを判断する、あるいは、ニュースで伝わってきた情報だけで政治家のふるまいを非難することも、それと似たようなものではなかろうか?
あるいは、広告をみて、自分にとって損か?得か?だけで判断することも同類だろう。
考えているようでいて、実は僕らは流されている現実に気づかなければならない。
理屈、情報によって善悪を判断することは、一見、知的に見える。
しかし、そこには、考えるという深さも生きる上で大切な人情もない。
深さとは、情や想像力によって感じられ、育まれていく感性だ。そして、その感性は、人の魅力となる。
物事の奥を観ようとするとき、はじめて人は「考えること」をしていると言えるのではなかろうか?
物事は、〇か?×か?だけでは決しておさまらない。
心学商売繁盛塾
2016年5月9日(月)
個人商店で生き抜く力第6弾~商いと気
2016年6月13日(月)