ところで75年公開のオリジナル版は過去に断片的に視聴した経験があって、でも語れるほど詳細を覚えている訳ではなかったので、勉強を兼ねてオリジナル版「大爆破」のウィキを初めて見たところ、この映画の論評を我らが押井守監督がしていたことが紹介されている
それによると「日本映画が日本の戦後にケンカを売った最後の映画」と評したとある
この「日本の戦後」というフレーズはどういう意図で使われたのか、個人的に興味があり、この元ネタである2020年 立東舎刊「押井守の映画50年50本」なる本の現物を確認することに時間を使っていたのだ
(中古本であれば送料別で1800円程度で入手できて中身の確認も容易だが、せっかくなので行ったことのないこの本が収蔵されている図書館の使い勝手の確認も含めて交通費をかけて読み込んできた)
少し俺なりの言葉を付け足すが、同書で押井監督が語っている概要は大体以下の感じだ
・スキャンダルを纏う時事ネタを題材にした映画製作が興行的に成立しているのは現代ではアメリカだけ
・しかし75年当時に日本では娯楽の王様である映画作りの環境は現在よりずっと寛大で、製作される映画のテーマもずっと多ジャンルだった
・また製作するスタッフは社会の本流に乗れないアウトロー的な気概の持ち主が多く、また観客側も「体制批判」が現代よりずっと道義的に支持されていた、それだけに社会の正当性への疑義を含むアンチテーゼをアピールする映画が数多く作られた
・至当の流れとして、日本の成長のシンボルであり本流の象徴としての新幹線が、意味合い上、ゴジラが壊した国会議事堂と同じく、市民にとってより身近の存在として格好の破壊の対象となった
・やがて時は経ち、日本の管理された資本主義が彼らアウトローを駆逐、体勢批判を題材にした映画は日本ではほぼ皆無になった
ネタバレできないので令和版「大爆破」の詳細には触れない
現代の不可欠な社会的インフラには違いないが、50年前には通じた「日本のシンボル」というバリューが果たして現JRの新幹線には適当だろうか?
この疑問それこそが、押井評に登場した「戦後日本」というキーワードの動機なのだろう