(イデオン記録全集5より転載)
イデオン発動篇で余りにも有名なノバク・アーシュラの首チョンパシーンの絵コンテが上記だ
(絵コンテの作画は富野監督の別名義 "斧谷稔"氏が担当)

絵コンテ上ではバルカンの銃弾で首から上を撃ち抜かれる演出が、遠慮がちな注意書きとともに書かれている

が、アニメーションディレクターを発動篇全編で努めた湖川友謙(とものり)氏が描いた原画は下記のようにその注意書きを受けてより凄惨な描写に改められている

(イデオン記録全集4より転載)

想像するにこの改変は富野監督とのディスカッションを経た演出検討の結果なんだろうが、結果的にはその後のアニメ作品で子供の死亡シーンでの禁忌の見本として、視聴者の間で月日を経て語り継がれることになった

(過激な描写なら勿論他にもあるが、上述の通り先駆者の強みにより他の作品が霞んで印象に残らない)

ところで余談になるが、よく考えなくてもこのシーンような現象は起きようがないとわかる

つまり、ここで彼女の首にかかる衝撃の実数は推し量りようもないが、少なくともその圧力と同じだけの摩擦力が彼女の足の裏と床面に働かない限り、彼女の身体は画面左方向に吹っ飛ぶのが物理法則に従った現象だと普通に理解できる

しかし、赤子であるパイパー・ルー(とこのシーンの段階では産まれてないメシア)を除く登場キャラ中で最年少のアーシュラが一番悲惨な死に方(発動篇冒頭ではキッチ・キッチンも首が飛んで死亡するが、年齢不明ながらコスモと同じなら16歳で、ビジュアルの重さが段違い)をする演出に注がれた当時の熱量とは何であろうか?

本編は40年前の映画だが、更にはるか昔から戦争の最大の犠牲者は「女子供」という普遍的テーマを象徴的な映像で描き、未来永劫改まることのない人の愚かさを、演出上の葛藤の末にここで最大限にアピールしてるとしか思えない

(以前見た脚本担当の渡辺由自氏へのインタビューによると、富野監督は自分の妻より綺麗なキャラをすぐ殺すって冗談を語っているのだが、まさかね。。)

 

しかし、ここまでのハードな展開を見せておいて、このシーンのちょっと後に出てくる転生シーンは、とって付けたような余りにも軽い「人の業のリセット」を匂わせる演出となっていて矛盾を感じる人が多い、俺もその1人である