(その1からの続き)

すなわち、ここからが本題だが、東子さんがこの業界が背負う逆境を逆手に取ったと思われる、とても聞こえが悪くて恐縮だが、以下の戦略へ舵取りをしたに違いないのだ

 

①敢えてピアノトリオというレアなチョイス

リズム隊のドラム、ベースをアルバム通してレコーディングメンバーを固定して(アルバム制作のギャラは基本的には曲単位の支払いらしいが、このリズム隊の部分についてはアルバム1枚単位の契約にしてコストカットしたかもしれない)コストをセーブすることが目的である

②曲数を絞り上記以外の参加ミュージシャンへのギャラを更に抑制

③同一スタジオでの録音なので楽曲毎のセッティング変更は最小限(ドラム、ベースのセット入れ替え、ピアノを含めたマイクセットの調整など程度だろう)、その結果としてレコーディングの時間は驚異的なわずか2日となり、全体のコストを抑制

※参加ミュージシャンの一人である松本圭司さんのコメントによると、スタジオ入り前にアレンジのデモをリズム隊に提供していたようで、他のピアノ弾き手も同様の流れを踏まえていると考えれば、スタジオでのリハも必要最低限の内容だっただろう

敢えて作り込まないことから生まれたこの"セッション感"もピアノトリオの味わいを更に盛り上げることに貢献していると考えている

 

先に結論を書いてしまったみたいだが、この選択肢をチョイスする背景はこんな感じだ

最近のクリエーターが自宅で行う作業は効率重視でクライアントからゴーサインが出ない企画はサンプルやデモ作りにかかる経費が認められないケースもあると聞く

加えて完成形になるまでの試行錯誤は内容にもよるが基本的には全て予算内に収めないといけないから、デモ作りは宅録でできるとして、レコーディンング、その後のポストプロダクションまでは、完成した作品の質はともかくビジネス的には短期決戦に限る

また当然だが関わるミュージシャンが少ないほどスタジオでの滞在時間が短くなってトータルコストは安くなり、その逆は経費は嵩みセールス結果の利益を圧迫する

参加ミュージシャンとどのように曲のクオリティを上げていくか、スタジオレコーディンングを通じて時間をかけてじっくり検討する、なんてのは昔の話なのだ(だからこそ数年前、スタジオで長時間の音作りの末に作品を作り上げるスタイルのスガシカオ氏が安作りの作品を否定しつつ、製作費を回収するためには配信よりCDを買って欲しいと懇願したのである)

東子さんの作品の代名詞であるAORスタイルのかつての音楽作りがビジネス的に成立しにくくなっているのは残念なことである

余談だが、この環境では逆にミュージシャン側もクライアント側がOKを素早く出せる演奏を手早くこなさないといけないので、センス、技量が試される機会がどんどん増えていくだろう

多くのミュージシャンに支持される売れっ子演奏家になるためにはそれなりの研鑽を積む覚悟がいるということだろう

 

最初の疑問、何故8曲構成なのかに関連してもう一言加えると、上記コストセーブの様々な策に加えて、ピアノ演奏・アレンジを担当する馴染みのピアニストへの「あてがき」というアルバムコンセプトへの肉付けストーリーまで「用意」して、意図的に「厳選したピアニストの珠玉の演奏を集めた記念盤なのでこれ以上の曲数は不要なんです」というステルス的決め事の枠を構築、このスタイルの正当性を商品化してしまった、という観点はどうだろう?

そこまでするか?とちょっと勇み足とは思ったのだが、この仮説の真偽はともかく、これまで書いてきたように「体温、鼓動」から感じ取れる彼女の30年のキャリアの実績は伊達ではない

音楽業界全体が抱え悩み続けるコストの問題とその回収に直結するセールスアピールに対して、事態を逆手に取る、ある種博打を打つような画期的なアルバムコンセプトを提示するだけでなく、彼女しか作れない高品質な素材を活かしきるサウンドを体現して見せて、結果的に高いレベルのソリューションとしてまとめ上げた、それが「体温、鼓動」という作品であり、彼女はライターだけでなく、プロデューサーとしても稀代の天才なのだとあらためて思う

 

この「経済学」の応用範囲、実は更に広いのである

(その3へ続く)